制作ニュース

舞台芸術制作者オープンネットワーク 座談会(前半分)

13.02/02


2012年10月に京都で開催したキックオフ・ミーティングを経て、2013年2月14日(木)にTPAMにて正式な発足となる設立総会を開催することとなった「舞台芸術制作者オープンネットワーク」。その発起人の方々に、会発足までの経緯や今後の展望などについて座談会形式でお話いただきました。

※「舞台芸術制作者オープンネットワーク」とは…
舞台芸術の制作実務を推進する者が主体となり、各々の仕事を通じて日々更新される情報やアイディアを交換し共有することで、活動を展開、つなげるための国際的なオープン・ネットワークの形成を目指す、これまでにない会員制のネットワーク組織。
※10月のキックオフ・ミーティングの議事録は「舞台芸術制作者ネットワーク・ミーティング(仮称)」(2012年10月当時の名称)のfacebookページから読むことが出来ます。
→ https://www.facebook.com/PAPNMeeting
【座談会参加者】
小倉由佳子(アイホール[伊丹市立演劇ホール]ディレクター)
鈴木拓(Art Revival Connection TOHOKU [ARC>T ] 事務局長)
塚口麻里子(国際舞台芸術交流センター[PARC])
野村政之(こまばアゴラ劇場制作)
橋本裕介(KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)
丸岡ひろみ(国際舞台芸術交流センター[PARC])
モデレーター:川口聡(Next[有限会社ネビュラエクストラサポート])

なぜ発起人は「舞台芸術制作者オープンネットワーク」を設立しようと思ったのか


川口聡(Next[有限会社ネビュラエクストラサポート])

橋本裕介(KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)

川口:背景として、1年半前に集まってネットワークを作ろうと思ったのはどういう理由だったのか、順番に話して頂くところから始めましょうか?「ARC>T」の鈴木さんは10月から発起人に参加されましたが、鈴木さんの場合は参加するに至った動機などを。…では、まず「KYOTO EXPERIMENT」の橋本さんからお願いします。

橋本:ぼくは京都を拠点に活動していますけど、京都で勉強会みたいなものを制作者同士でやろうという風に思ったことがありました。その時が、制作者同士が繋がるっていうことの意味を考えたタイミングでしたね。その時は、京都にある古い劇場がリニューアルするという話があって、舞台に関わる者として、何かしら関与しなくてはいけない、ということが僕の中でありました。それで、関与の仕方なんだけど、今までのやり方だと、ある有力な人たちを見つけて、で、その人に向けてなんか上手くロビー活動して、意見を届けてもらうっていうような考え方もあり、その方が早いかなとも思ったんだけれども、その時は僕はその速さよりも、その業界で仕事をしている人たちが、どういうことを考えているのかという…なんというか、面の強さっていうことに取り組んだ方が後々いいんじゃないか、それには中のスタッフに声をかけた方がいいんじゃないか、って思い、ネットワークという名前じゃないけれども勉強会として、いろんな人と集まるようになった。

なんでそういう風に思ったのかというと、“時の力を持っている人”に取り入りながら、自分たちの要求を叶えていくというやり方では、舞台業界が社会の中で信用されない、やっぱり作品と観客を繋ぐ仕事である制作者のような人間が、ある程度束になって、特定のアーティストや特定の作品ということに囚われない形で発言をしていくことが、ひいては舞台芸術というものが、より社会化されていくきっかけになるだろうという風に思いました。それが、京都で少ない人数で集まりを開催していたときに思ったことです。

それからほどなくして震災がありました。その時に、それぞれの活動をしている人たちがいろいろな判断に迫られたときにどういう判断をしたら良いのかをシェアしたいと思い、同時に、そういう人が数多くいるということを知った。それで、そういう話を京都で一緒にしてみませんか、と投げかけて、発起人の一人である中村茜さん(株式会社プリコグ代表取締役/NPO法人ドリフターズ・インターナショナル理事)と、京都で地域を超えた制作者の繋がりが生まれました。僕の中では、その前から京都でやっていた制作者が集まることの意味と、タイムリーな繋がりを求めている人たちがいるということが合わさって、もしかすると、これは特定の地域に限らずネットワークというものを創っていくと、日本の社会の中で舞台の在り方というものが地殻変動のように変わっていく可能性があるだろうなと思って、これを進めたいと思いました。

川口:その時にはすでに伊藤達哉さん(ゴーチ・ブラザーズ代表取締役/プロデューサー)や野村さん(こまばアゴラ劇場制作)とは一緒に会って話をされていたんですか?

橋本:そうです。あと齊藤啓さん(鳥の劇場)もです。

川口:震災後に集まったメンバーというのは、以前に京都で意見交換をしていた人という…たまたまそうだったメンバーだったんですか?

橋本:たまたまです。けどもう単純になんか、普段自分の仕事で作っているネットワーク以外にも、やっぱり出会える可能性があるということ自体が、単純に興味深いことだった。面白いし、興奮するし、世界が広がることだと思っていて、そういうオープンなネットワークの可能性は、自分たちの仕事を高めていく上でも、魅力的だなと思ったんですね。

川口:今、出会いという話が出たので、次に、特に国際的な形での出会いを意識して活動されてきた「PARC(国際舞台芸術センター)」の丸岡さん、塚口さんに、この会を立ち上げたきっかけを聞かせて欲しいんですが。また、オープン・ネットワークの概念についても、あらためて話してもらえますか?


丸岡ひろみ(国際舞台芸術交流センター[PARC])

丸岡: “オープン・ネットワーク”というのは、文化的コンテクストが異なるもの同士がつながり理解し合うのに有効な方法で、考え方なのではないかと。つまり、文化背景が違えば違うほど、協働するに当たり必要なあり方と認識されてきている、と理解しているんです。

ネットワークというのはいくつもの形がありますが、それを大まかに「アソシエーション」、「プロジェクト・コンソーシアム」、「オープン・ネットワーク」と分類しています。「プロジェクト・コンソーシアム」とは共同製作やツアー公演など、一緒に何かを具体的に行うネットワークですね。これは一般にイメージされるネットワークだと思います。一緒に何かをやって、目的が終わったら終わる。「アソシエーション」というのはヒエラルキーがはっきりしていて、入会の資格が厳しいもの。業界の利益を得るための利益団体はおおむねそういう形だと思います。「オープン・ネットワーク」は入退会という出入りが自由で、常にサブ・ネットワークというものを許容し内包できるというもので、サブ・ネットワークの広がりから生まれてくるもの等を考えると、ネットワークの範囲が広い。

繰り返しになりますが、違う背景の、違うコンテクストの中でどう協働していいか分からないというときに、有効なネットワークの形式なんじゃないかと思います。必ずしもIETM※と同じやり方を持ってこようとした訳ではないんですが、とても参考にさせて頂いてます。
※IETM…世界的な舞台芸術関係者の会員制ネットワーク。1981年に「Informal European Theatre Meeting」として発足。現在は略称「IETM」を保持しつつ、「International Network for Contemporary Performing Arts」と呼ばれる。総会を年に2回ヨーロッパ諸都市で行なうほか、アジアでの「サテライト・ミーティング」をシンガポール(2005)、北京・上海(2006)、ソウル(2007)、東京(2008)、ジャカルタ(2010)、横浜(2011)で開催。

オープン・ネットワークという考え方の基本を前提に、例えばTPAMという催事を私達はやっていますが、TPAM自体は、プラットフォーム…つまり場所なので、常に場所に付属するネットワークなんですね。で、場所に付属する以上、その場所に付属する者の利益が原理的に最優先される、という意味では自由に活動することにも限界があるんですね。

一方、その上で培われてきたネットワーク自体がどう独立し、顕在化され得るのか、というのを考えていました。例えば、2010年に、ブリティッシュ・カウンシル※が、日本のプレゼンター(制作者)を一緒に海外に連れてってくれたんですが、私も同行させて頂いて。その時に参加していた人たちは勿論イギリスのアーティストやプレゼンターと出会う訳ですが、一方で一緒に行った日本人同士の繋がりが生まれる。たえば小倉さん、大平さん、伊藤さんなんかは、その機会が、お互いよく知り合う機会なんかになったんだと思うんですけども、他にもそういう一緒に海外のプラットフォームやフェスティバルに行くような機会の創出の一助をTPAMは担っているんですが、そういう繋がり自体がプラットフォームから離れて顕在化してもいいじゃんないか、と感じていました。それによって、逆にプラットフォームの運営もやりやすくなるんじゃないかとも。
※ブリティッシュ・カウンシル…1934年に設立されたイギリスの公的な国際文化交流機関。世界100ヵ国以上で、イギリスに対する信頼と理解を深めることを目指している団体。

TPAMでは2008年のIETMのサテライト・ミーティングを招致して以降、ネットワークを知るためのディスカッションの時間などを持つ機会が何回かありました。例えば、2011年にNext(ネビュラエクストラサポート)がTPAMのプログラムの中で実施してくださったネットワークの会議もそうだと思うんだけど、そういう個別の機会が、はっきりと誰かに要請されなくても、自分から参加していいんだっていう風に思える場所が、作られるといいな、と思ってましたね。


塚口麻里子(国際舞台芸術交流センター[PARC])

塚口:私もこれまで他のネットワークに自主的に参加した経験は少なく、IETMのミーティングに参加したのは、リブリャナの秋の総会1回と、サテライトのアジアで行われていたソウルとインドネシアの回しか出たことがなかった。TPAMで2回、サテライト・ミーティングやっているんですけど、その時に、日本の制作者が参加する機会をもっと広げたいと思ったっていうのはひとつありますね。また、その時にネットワーク自体を主要テーマとして話をして、これまではどうしても…例えば、プロジェクトベースで何か利益があるとかメリットがあるということを話さなきゃいけないような、脅迫観を持っていました。でも今回はネットワーク自体を純粋に、本当にプランしてデザインして考えるということが出来る機会ということで、丸岡さんから話があり、このオープン・ネットワークを作るということに参加出来てすごくいいなと。やりたいこととやっていることが一致した、というしっくりした気持ちになりました。

川口:すごく勉強になります。ここでNextがなぜ参加しているのかという話を、少し挟ませて下さい。Nextは、もともと国内の若手制作者や商業公演制作者を中心としたネットワークを、チラシ折り込み代行などを通して持っていました。そこで、震災があって、東京でも上演をするべきか中止すべきか、払い戻しをするのかしないのか、する団体としない団体とで観客への対応が異なり、横の情報はわからないので対応に困ったというような、いろいろな情報が錯綜した中での、混乱があった話を震災直後から聞きました。同じことがいつ起きるかわからない中で、対応を模索していたときに、僕らにとっても夏のTPAMでの共同ミーティング開催という機会があって。震災当初は、僕の考えは、緊急時の情報共有連絡網と集まる場を緊急招集するようなネットワークだったんですが、危機に際してはお互いに情報を共有出来て、平時ではそれぞれの団体のさまざまな活動に繋がるネットワークが必要なんじゃないかと感じました。

でも、さっき橋本さんが言われたような、出会いみたいな意味では、数年前にPARCと出会ったことで、予想していないタイミングでTPAMの場でミーティングが出来た。僕らの知り合いだけでなく、PARCと繋がってる人たちとも話し合いが出来た。それは今思うと、既に自分達の持っていたネットワーク同士を繋ぐアクションだったのかなと思いますね。

震災が起きてからのネットワークという意味では、東北でいち早く舞台芸術関係者の広範なネットワークが作られましたね。震災直後に東北でARC>T(Art Revival Connection TOHOKU)が立ち上がり、それがとても有効に機能した。どういう風に出来上がったのか、というのを鈴木さんにあらためて語ってもらい、続けて鈴木さん個人のこのオープン・ネットワークへの参加の動機を聞かせてもらえますか。


鈴木拓(Art Revival Connection TOHOKU [ARC>T ] 事務局長)

鈴木:えっと、僕は仙台で演劇を高校からずっとやっていて、地元の仙台市の主催の演劇祭のプロデューサーなんかもしていたんですね。で、震災が起きて、表現者というか、芸術は無力だ、というところに、ほぼ全員が1回陥ったんだと思います。アーティストも含め。でも震災が起きて3週間くらいしたところで、無力感を実感したとはいえ何もしないわけにいかないという、うずうずした感情が生まれて、最初は何でもなかったんですが、とりあえず人の顔見てしゃべりたいみたいなところから集まり出して、何回か話し合いを持っていくうちに立ち上がったのがARC>Tというネットワークです。最初は、広場みたいなイメージで、とにかく人が集まれば何かアクションを起こせるんじゃないかというくらいのイメージで立ち上げました。

まあ、驚いたこととしては、思った以上に、今まで自分たちが十何年か、人によっては二十年三十年、舞台表現をし続けてきた自分の故郷に、自分たちが求められることが、こんなにもたくさんあったのか、ということでした。その後、求めるということが顕在化したということと、世界中の人から、アートという文脈で支援をいただくきっかけになってそれの交差点になったというか、かなり早めに会議の模様をずっとユーストリームで流していたり、オープンにしていたということもあって、非常に活動が活発化した、という経緯がARC>Tにはあります。

で、僕のこのオープン・ネットワークへの参加動機としては、大きく2つあって。ひとつは、そのARC>Tの活動の中で、結局、間に入ってコーディネートする、いわゆる制作者という役割が絶対に必要だということが、僕以外の人も含めて、分かったんですね。ただ、いないんですよ、東北には。とにかく、その部分の人材が東北には不足している、ということがまず分かって。そもそもそこにそういう役割の人が必要だという認識すら、もしかしたらなかったかもしれないくらいの状況だったので。ここを職域としている人たちが、横で繋がるということに、まず単純に興味を持ったことが大きい。

なぜ地方にそういうコーディネーターとか制作者が育たないのか、みたいなことも、僕の中では問題提起としてもともと震災前からあったので、このネットワークを通じて、仙台だけが持っている課題もあれば、もしかしたら、日本全国持っている課題もあるかもしれない。そういう知識と意識の共有みたいなことがオープン・ネットワークで出来るんじゃないかと思ったのがひとつ。

あとは、ARC>Tが歩んだ道というのが、どうやらかなり特殊だということに、最近みんな気づき始めていて(笑)。まったく特別なことをやった感覚が僕らにはなくてですね、最初に提案型の活動ではなく完全に需要供給型の活動だったので、目的に対しては無意識なんです。震災復興ということしかなくって。そのエネルギーはあまりにも大きいので、意外といろんな人が簡単に繋がれるし、細かいディティールはほっといても前進できるんですけど、やってみると、1年10ヶ月くらいたって、かなり特殊な道を歩んだんだということに最近、自覚的になって。

これが果たして、少なくとも被災地だったり、宮城県仙台というすごく局所的なエリアだけで終わってしまう話でいいのかなっていう。またどこかで同じようなことが起きるかもしれないということを考えると、これは何かしらアーカイブして、いろんな人に共有してもらう必要があると思います。僕ら、神戸の時の資料を取り寄せたんですけど、ほとんど分からなかったんですよね。どういうことが起きたのか。なので、何かしらこれはちゃんと、記録に残さなきゃいけないと思ったし、逆に、外から支援してくれたり、被災地に興味を持ってくれている人たちに、今の、現状を伝える役目があるだろう。っていうのが、動機ですね。

川口:その、もともとの地域のニーズというのが、震災前からあって、それが顕在化して、それに対して応答しなければならない、という状態になった、ということですよね。

鈴木:そうですね。

川口:地域のニーズというお話が出たので、兵庫、あるいは関西で、小倉さんが普段活動されている中で、何か感じられることとか、もしくは、このオープン・ネットワークに参加する動機みたいなものって何ですか?


小倉由佳子(アイホール[伊丹市立演劇ホール]ディレクター)

小倉:私が参加するきっかけは、京都で橋本さんがやっていた勉強会に参加していたりとか、あとその震災以降の野村さんや中村さん、伊藤さんが京都に来て一緒に勉強会をしていた場に誘ってもらったりして、それに参加していくうちに、加わっていったという感じです。

私が主な仕事としている、公共劇場でのダンス事業のプロデュースにおいては、関西の劇場間ネットワークだったりとか、公共劇場というネットワークだったりとか、ダンスのネットワークというものは、かなりすでにある状況だと思うんです。ただ、今の舞台芸術の状況を巡る中で、それぞれの属性を主体としたネットワークだけでは、解決できない問題やトピックが出て来ていると思っていました。あと、自分が若手って言われるような世代から、もう中堅って言われるような責任を持ったポジションを与えられていく状況の中で、属性から離れた形での舞台制作者というところでの結び付きでネットワークを作って、参加していきたいっていうのが、モチベーションでした。

川口:その「属性」っていうのは、公共劇場同士を繋ぐっていうことだけではなくて、カンパニーのマネージャーだったりフェスティバルのディレクターであったり?

小倉:そうですね、今、このネットワークの話し合いで出てきているようなトピック、文化政策のことにしても、共同制作のスキーム作りにしても、同じ属性や立場の人たちだけで話していても進まないようなことが、いろんな人がいることによって、どんどん可能性が生まれてくるのかな、という気がしています。

川口:そこはさっきのプロジェクト・ベースの話でもないですけど、ある種の属性ないしは同業、近い立場の人たちの特定の利益を獲得するための集まり、ということではなくて、もっといろんな幅広い形でのネットワークっていうものがある方が、やっぱり有効だということですよね?

小倉:そうですね。

川口:いろんな地域を横断して繋がったり、京都の勉強会に参加されていた野村さんは、どういった動機だったんですか?


野村政之(こまばアゴラ劇場制作)

野村:僕は、2010年度にこまばアゴラ劇場とセゾン文化財団でやった「創造型劇場の芸術監督・プロデューサーのための基礎講座」っていうものが、何にせよ、きっかけだったと思います。
運営の立場と同時に企画内容も僕が組んでいたんですが、この講座の前まで、中村茜さんや伊藤さんとでさえ、顔もよく知らないくらいの状態だったんですよ。すごく近くで活動しているにも関わらず、お互いに関わり合うほど関心がない状態だったんだと思います。その時は、「劇場法」の話題が持ち上がったところで、劇場法は特に、助成金をもらっていたり、公立劇場の表現の場として活動しているようなアーティストにとっては、誰しも避けがたく関係してしまうイシュー(論点)だったので、ともかく会いに行って、「こういうことを企画しているんだけども、参加してもらえないだろうか」と声をかけました。
その時僕は「自分から見えていることだけでは、たぶんいろいろと不足があるだろうな」と思ったので、「どういう形だったら参加してもらえるんだろう」っていう風に考えて、聞きに行くみたいな感じでした。

今思えば、これが一番最初に「オープン・ネットワーク」に向けて動き始めるきっかけだったと思うんです。

この講座自体が、話題もパブリックなものだし、僕自身も、出来るだけいろんな人に参加して欲しいと思って、運営の立場にいたんですけど、なんていえばいいのかな…いろんな意味で「特定の利益のために一部の人たちが集っている」っていう風な見方をされてしまって、こちらがそう思っているか思っていないか関係なく、割と「コンソーシアム」的な、あるいは「アソシエーション」的なものとして、受け取られてしまうことに、すごく行き詰まり感を感じて。

かつ、その講座は芸術監督とプロデューサーと謳っているので、アーティストと制作者が両方いて、フォーカスが定めにくかった部分もありました。結果的には、アーティストよりも、各地の制作者同士が、そこで初めて知り合って、定期的に会うことで、その後、横の連携が出来て、講座を離れても交流がある状態になっていった。ただ、「講座」っていう形だからかもしれないですけど、横の繋がりは出来ても、講師の話を聞くことが中心でお互いの話をする時間がない。この形では連携は発展していかないな、と思っていたんです。
そうしたときに、震災が起きた。

震災が起きて、講座のメーリングリストで「情報共有しましょう」ということで、みんなそれぞれ、震災のときの様々な体験と対応と悩みを共有しました。
そういう中で、震災前後の公演に対する助成金に関して、具体的に速やかに対処すべき問題がメーリング上に挙がってきたりして。そんな中で、もう一回、特にテーマも定めずに、とにかく集まって話し出して、出されたことについて話しましょう、みたいな場をもったんですね。

それとほぼ同時期に、中村さんと橋本さんの呼びかけで京都に集まった。これが直接的に今回のネットワークに繋がっていく流れです。
京都でのミーティングは、なかなか話が通じない、ということがよくわかるものでした。震災の体験の仕方も、全然違うし、そもそもお互いが違う前提というか優先順位で活動しているからですね。その前提をお互い簡単には理解できないから、決まりきった話をされても、自分に当てはまるか分からない、ということになる。
それで実感したのは、多様な前提、多様な立場からの声を受け止める場所、あるいはそれを集めて表面化させる場所とか、そういう場所があることによってさらに知り合える人たちとかが手の届くところに居て、そこで情報を共有するっていうことは、日常的にすごく必要だし、そういうことがあれば、あの講座ももっと有機的に機能したんだろうな、ということでした。

そんなわけで、2011年にその講座が終わって以降、「どうやったら日本で、それも全国的に、日常的に、何か繋がれる距離感で、情報交換が出来るだろうか」ということを考え続けることになりました。

まずそこからやらないと、何年後かわからないですけど「劇場法」か、それを超えるレベルで、なにか看過できない文化政策的な動きがおきたとしても、説得力も持てないし、また同じように「特定の利害のために動いている」というような見え方、受け取られ方をしてしまうだろうな、という風に思ったんですね。
ただ、僕自身の経験と考えではそのことに対処する方法が全然分からなくて。セゾンさんから「講座を続けたらどうか」っていうようなことを言われていたんですけど、僕自身が進める手立てが見つからなくて。というときに、このオープン・ネットワークの集まりが起こってきて、ある意味、今度は、ボーカルとかギターとか目立つ感じじゃなくて、引っ張って行くというより、どちらかと言うと、ドラム、ベースみたいな感じで、会が動いていく動力になれればいいな、という、そういうイメージがありますね。自分としては。

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