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第2回「カンパニーの成長と法人化~ゲスト:吉井省也(現・舞台芸術財団演劇人会議プロデューサー/在籍期間:1984年~2000年)聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~)

12.01/05

集団を“鍛える” ためには負荷が必要


『Ship』

山内:この時期の観客動員はどれぐらいですか?

吉井:『船を見る』(1997年)の時がピークじゃないですか?5000人くらいだったと思います。この頃は新作で、3000人くらいかなぁ。『青』(1994年)とか。あ、これってグローブ座(当時パナソニック・グローブ座)で3年間やるっていうプロジェクトの一つですね。

山内:そうですね。

吉井:高萩さん*4がいらした時代のグローブ座です。

山内:これってグローブ座とはどういう契約だったんですか?

吉井:たしか明確な契約ではなかったけれども、この時期、海外に持っていけるような新作をどこで作るかっていうのが大問題だったんですね。新作を作るのが一番大変なので。外国で作るのか、日本で作るのか、日本で作るならどの劇場で作るのか。劇場を転々とするのも疲れちゃうし、一つの劇場でじっくり腰を据えて、フランチャイズとまではいかなくても、せめて「3年間はここでやる」って決めて、スタッフ全員にそれを浸透させながら作りたいって思ってた。それでいろいろと交渉してたら、高萩さんが「3年間やってみる?」って言ってくれたんだったと思う。だから、『ブッシュ オブ ゴースツ』(1992年)と『青』と『城~マクベス』(1995年)という大作3つは、グローブ座で生まれたんですけど、最初の思惑と違って大作になり過ぎちゃってですね(笑)、『ブッシュ~』は辛うじて海外に持って行きましたけど、他の2つは…。

山内:『青』は日本での再演はありますけど、海外ではやってないです。

吉井:『城~マクベス』なんて絶対できないよね。

山内:絶対無理ですね(笑)。

吉井:こっち(制作側)の思いと、小池さんの力の入り方がずれちゃったっていう(笑)。まあ、そういうこともありましたね。

山内:なるほど。

吉井:だけどね、あんまりお金のことばかり言って、演出家が「あれもできないのか」「これもできないのか」って思うことが続くのもよくないからね。ガス抜きじゃないけど、やりたいことを思う存分やってもらわないと。そうしないと分かってもらえないこともあるからね。「それじゃ海外に持って行けませんよ」とか、「そんなんじゃ出来ないですよ」とか、そんなことばっかり言ってたら、何のために作品、新作を作るのかってことになってきちゃうでしょ?

山内:以前、吉井さんから伺った話でとても印象的だったのが、「演出家がやりたいように100%出来るのがベストだと思っているから、そこにどうやったら近づけるかっていうのを考えなきゃダメだ」っていう言葉なんですよね。

吉井:そうしないと制作って楽な仕事になっちゃうからね。自分の力量の範囲内で「予算100万だから100万下さい」なんてさ、そりゃ楽でしょ?お金の問題だけじゃなくて、すべてのレベルを上げていかないとっていうのがあるからね。お金かければいい舞台作れるって言うんなら作ってみたら?って感じもあるし、集団を鍛えるっていうことも大事。タラフマラって基本的にカンパニー主義なので。僕は当時プロデュース公演って長い目で見たらあまりいいことじゃない、カンパニーの方がいいと考えていた。だから、「集団をどう鍛えていくのか」っていう課題については、集団に何らかの負荷を掛けることがどうしても必要になってくる。公演日数を増やしたりするのはもちろん、舞台上でどういう演出をするか、俳優やパフォーマーをどう鍛えていくかっていうことも制作が関与できる分野じゃないですか。タラフマラは美術の要素が凄く大きかったから、当然、美術スタッフも育てなければいけない。集団としてどう上げていくのかっていうことも含めて予算を考えてたところはあると思いますけどね。


『青』舞台写真 katsuji sato

山内:きっとそれがP.A.I.開設とリンクしてくるんですよね。「集団を鍛える」っていうことが前提にあったから、個人が出来ることを最初っから絞り込むんじゃなくて、可能性を広げていくような人材育成のやり方に辿り着いた。今時の若い人で「集団を鍛える」っていう発想に至る人って、なかなかいないんじゃないかと思うんですけれども。

吉井:僕らはそうじゃないとやっていけなかったんですよ、作品の質の点で。集団のスタイルで作品が決まるっていうこともあるかもしれないけれども、タラフマラの場合は、この作品を実現するためには集団をどうしていくかっていうことの方が大事だったんですよ。だって、「こういう集団だからここまでの作品しかできないよね」っていうんじゃ、困っちゃうんだよね。つまり、小池さんの作る作品が、タラフマラの集団性を決めていく。

山内:『青』の時なんかは、全員のダンサー化を図ろうってことで、泊り込みで半年ぐらいガンガン稽古したそうですね。

吉井:やったね。鈴木(美緒)さんあたりが伸びてきたのがその頃だね。

山内:当時のスタッフに聞くと、急激に踊れる人たちだらけになって「あー凄く変わった!」って、びっくりしたって言われます(笑)。

吉井:まあそうでしょうね。80年代後半ぐらいから、タラフマラの魅力はあの独特のオブジェだっていう反応がかなりあったんですよ。「空間が心地いい」とか、「動く絵画を見ているようだ」とか。だから、その当時は「美術手帖」だとか美術雑誌にいっぱい載ったんです。今でも小池さんは当時の批評とかに不満を持っているみたいだけれど、美術分野の人の方が素直に観てくれたんですよ。演劇とかダンスの人たちには、「これはダンスじゃない」とか「これは演劇じゃない」っていう、非常に狭い見方が多かった。その点で美術雑誌っていうのは、「西のダムタイプ*5、東のタラフマラ」みたいな安易な置き方ではあったけど、「美術に人間が入っていく」というような文脈で捉えてくれた。ま、小池さんはそれにもあんまり満足はしていなかったけどね(笑)。小池さんにとっては「身体」とか「人間」が中心だから。「モノとヒトとの関わり合い」って言ったって、「それだけを描いている訳じゃない」っていうような思いが、当然彼の中にはあったと思う。松島誠が作るオブジェにしたって非常にクオリティが高い。それに対して身体をどう拮抗させていくかっていうのは、一時期のタラフマラの課題でもあった。でも、身体の方はモノと違ってそう簡単にいかない。そもそも、小池さんの中では、「踊れるダンサーをいっぱい連れて来てやろう」っていう発想は一切ないから。

山内:ないんですね。

吉井:そういうダンスを求めてるわけじゃないから。だから内部で、とにかく「稽古すればできるように」ってやったわけ。時間が掛かる作業でしたね。パフォーマーに負荷は掛かるけれどもね。でもやらなきゃいけない。

山内:「鍛える」ってことが必要だった。だけど、今回の「解散」っていう選択は、これとは逆のアプローチですよね?

吉井:やり尽くしたとは思わないけどね。そこは僕には分からない。ちゃんと聞いてないんだ、何で解散するのかハッキリとはね。ただ、3.11は大きかったんじゃないかね。

山内:それもありますけど、ただ、ずーっとこう蓄積してきた集団であることの重たさが、もちろんいい意味での「重厚感」にも繋がってるんだけど、「重たさ」ばっかりが感じ取られるような状況が、わりとここ5年くらい続いて来ていて、で、やっぱりそれって小池さんはともかくとして、メンバーにかなりの負荷が掛かるじゃないですか。それに対して、小池さんも心を痛めている部分があって、「一回軽くしよう」ってなったんだと思います。

吉井:いつでも「次へ、次へ」っていう人だからね。一緒にやっていくにはエネルギーが要りますよ。

山内:そうですね。

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