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木ノ下歌舞伎 京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』 監修・補綴:木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰) 制作:本郷麻衣(木ノ下歌舞伎)

12.12/22

プロモーションの三本柱は、誰がどこから入ってきてもいいように

――「横浜でやる」と一方的に決めても、先方に受け入れ体制がないと難しいですよね?企画が決まった時点で横浜側のブレーンとなるような伝手か何かがあったのでしょうか?
木ノ下:いや、これはね、急な坂スタジオにピンポイントで殴り込みです(笑)。前任の制作担当者と杉原と僕の3人で。多分、アポはとった…と思うけど(笑)、事前に具体的な内容は全く言わずに、突然乗り込んで、「こんなことしたい!」という話を職員の方に聞いてもらいました。まあ、若いからそういうことができたんでしょうね(笑)
――急な坂スタジオでは「坂上がりスカラシップ」*9という若手アーティスト支援事業があります。でも、この「京都×横浜プロジェクト」の1年目はこの対象ではありませんよね?


本郷麻衣

本郷:スカラシップにも申請していたんですが、選から漏れてしまって。だから正式にスカラシップの対象だったのは3年目だけなんです。でも、私たちが「何をしたいのか」ということを急な坂のみなさんもすごく理解してくださって、1年目から「一緒に何かつくりましょう」という感じで特別枠のような形で手厚くサポートしていただきました。
――本郷さんが制作として参加するようになったのはその頃?
本郷:企画を持ち込んで、「さあ、やるぞ」と決まったあとに、前任の方が抜けることになったんですね。それで木ノ下さんが声を掛けてくださって。「じゃあ、ひとまず1年やってみましょうか」という感じです。
――その時に木ノ下さんからは、何か特別な注文はありましたか?
本郷:特別なオファーは何もなかったです。でも、すごく不安だったことは覚えていますね。こっち(京都)でつくらない訳だし、初めて参加するのに稽古場がすごく遠い所にあって、ひとり京都に残って広報活動をするというのはやっぱりすごく不安でした。
――特に苦労したのは具体的にどんな部分ですか?
本郷:それが、ふたを開けてみるとあんまり苦労しなかった…いや、大変なことはたくさんありましたけど、もっと、なんて言うか、初めてだし、お互いがどうして行きたいか掴めなかったりして、コミュニケーション面で困るんじゃないかな、と思っていたのが、予想外にスムーズにいったんですよね。私は京都で自分のやるべきことを、彼ら(木ノ下、杉原)は横浜で彼らのやるべきことをやっている、というように上手く役割分担ができているような感じで。稽古場には1~2回行った程度で「小屋入りの時に初めて合流する」くらいの勢いだったんですけど。
――なのに、コミュニケーション面での不具合はそれ程感じなかった?
本郷:感じなかったですね。多分、やりたいことは彼らが持っていて、私もその様子を見ながら、すべて私が引き受けられることだとは思っていなかったので、彼らがやれることは彼らに任せて、私はそれに対して気付いた所はフォローをするけれど、基本的には公演を立ち上げることに集中しようとしていたんだと思います。公演以外の関連企画もいろいろあったんですけど、そのあたりのことは完全にお任せしていたんです。
木ノ下:そうだったね。

本郷:Skypeとかで会議してたのかな?あんまり記憶にないんやけど・・・。
木ノ下:いや、あの時はあんまり会議してなかったですよ、Skypeとかでも。たまに集まった時に、ガーッてやってたのかな?
本郷:思い返してみると、実際はクリエイションに入る前に、かなり綿密に計画をたてたんですよ。横浜に行ってしまうまでに、このタイミングでこの情報を出して、このタイミングで関連企画をやって、さらに「瓦版」というフリーペーパーも出していたので、そういったものを細かく決めていったハズなんですけど、不思議な程に困った記憶がない…のはなんでやろう(笑)。
木ノ下:なんなんやろなあ。規模的に(プロジェクトの中では)一番小さな公演だったこともあったかもしれないね。あと、ああ見えて自分たちのできることしかせんかった気はするね、いい意味で。フリーペーパーと言っても、自分たちが手軽にできること以外はしないとかね(笑)
本郷:確かに。種まき運動みたいな感じだった、1年目は。
木ノ下:うん、無理はしなかったね。
――そうすると、広報的な動きとして特別だったのはフリーペーパーぐらいですか?


フリーペーパー「瓦版」

本郷:あとは音声ガイダンスもやりました。それから、稽古場のUst配信も。それらは3年間続けてやりましたね。
木ノ下:三本柱でね。フリーペーパーと音声ガイダンスとUst配信。
――それにはどういう目的やコンセプトがあったんですか?
本郷:木ノ下歌舞伎の活動自体が、単純に新作を上演することを目的としていなくて、古典に対して「どんなアプローチをしているのか」を知ってもらうことがとても重要なんですね。だから、「わからない」ことがハードルを上げているなら、できるだけたくさんの情報を事前に提供して、自然に「わかる」状態になって劇場に来てもらえるようにならないかと考えました。まずは古典に親しんでもらうこと。布教活動のようにやっていきたいというのが前提としてあります。作品の上演だけでなく、観賞するための環境も整えてからお客様に届けたい。だから、Ust配信も音声ガイダンスもそのための手段です。「この作品がどういう成り立ちで、今ここにあるのか」を木ノ下がひたすら喋ってるだけなんですけど(笑)、とにかくそれを3年続けてやったことはとても意義があると思っていて、今後も何らかの形でやっていきたいねって話しています。
――ターゲットとしてはどのような客層を意識していたんでしょうか?
木ノ下:ターゲットね。それはかなり広かったね。
本郷:「若者層に」というよりも、「古典は古典」「現代劇は現代劇」みたいに固まってしまっているお客さんの中にどうにか緩やかな流れを起こしていきたい、その媒介となる存在になりたい、という思いが根本にあるんです。だから、情報をワッと出して、それに興味を持ってくださった方を捕まえていくという感覚でやっていましたね。あえて発信する範囲を狭めるようなことはしていません。


木ノ下裕一

木ノ下:「ターゲットは誰なのか?」というのは、実は結構大きな問題で、例えば、まったく歌舞伎を知らない人でもなんとなく面白いと思えるような「歌舞伎的な作品」なら簡単にできると思うんですよね。反対に古典ファンがマニアックに楽しめる「現代版の歌舞伎作品」というのも頑張ればつくれるでしょう。だけど、そのどっちも僕にとっては面白いものじゃないんです。それらが同時に起こる、2つの層が同時に面白がれるものを目指しているんです。だから、PR活動にしても、フリーペーパーは幅広い層に届けるためのもので、Ust配信は若者向けのツール。音声ガイダンスはマニアックなことも話しているので歌舞伎ファン向けかもしれません。特に関東ではまったく知名度がなかったので、誰がどこから入って来てもいいように、最低限この3つの動きは必要だったという感じですね。

「人の繋がりとともに、「やれること」が一気に広がった

――『義経千本桜』では、3カ年計画の最終年ということや、これまでより大きな小屋での公演ということで、それまでとはまた違った動きがあったのではないでしょうか?
本郷:最終年だからといって特別なことはしませんでしたが、これまでに蓄積してきたものを集大成としてどう花開かせるかってことは強く意識しましたね。
――でも、客観的に見ても、この3年間でカンパニーの認知度が一気に上がったと感じますし、制作する環境も急激に変化したんじゃないですか?

本郷:それはすごく実感しましたね。『勧進帳』の時に初めて観て下さったというお客さんが多かったんですけど、それでもまだ当時は「噂には聞いてるけど、観れなかった」という声も凄く多かったんですね。『夏祭~』の時には、「あの『勧進帳』のところか」って注目が集まっている感じがして、急激に世間の関心が向いてきているのが分かって、ちょっと戸惑ってしまったところはありました。「京都の小さな劇場でひっそりとやっていたはずなのに、いつの間にか大勢の前に出ちゃってる!」という感じは受けましたね。もちろん、たくさんの人に関心を持ってもらうことを目標に活動をしていますけど、もう少し緩やかに行くものだと思っていたんですよね。そのスピードがあまりにも急激だったので、感覚がついていっていなかったところは正直ありました。
木ノ下:僕の感覚は少し違っていて、確かにこの3年間でたくさんの人が見に来てくださるようにはなりましたけど、ずっと前から関東は視野に入っていましたし、旗揚げして2年目には初めて東京公演をして、その後も年に1回は必ず関東地域で公演をしていたので、その辺りについては急激な変化というよりもその都度確実に広がっていった印象を持っていますね。そういった段階を経てこその「京都×横浜プロジェクト」だと。それよりも創作していく上での人の繋がりの広がり方に驚かされましたね。俳優との出会いはもちろんですけど、演出家やその他のスタッフも含めて関東というのは本当に層が厚いと感じました。人の繋がりが広がっていくことで、「あんなこともできそう!こんなこともできそう!」って、「やれること」の範囲が一気に広がっていったのがこのプロジェクトを通して一番驚いたことですね。
――特に木ノ下歌舞伎のようなプロデュースユニットにとって、アーティスト同士の繋がりは大きな財産になりますよね?
木ノ下:そうですね。それはもう、圧倒的にそうです。
――集大成となる『義経千本桜』は座組もかなりの大所帯となりましたが、その分苦労したことも多かったんじゃないでしょうか?
木ノ下:思い起こせばね、いろいろね(笑)
本郷:(笑)
木ノ下:でも、『勧進帳』の時の関東でのオーディションのことを思えば苦労だなんて感じません。あの時は結局、何人集まったんだっけ?
本郷:すごく少なかった(笑)。5~6人じゃなかった?
木ノ下:いや、10人はいたよ、確か(笑)。全部で5役のところに、応募者が12人ぐらいだったかな。あまりに少なすぎたのでオーディション日程を削ったり、一人しか来ない日には知り合いの俳優さんにサクラで受けてもらったり(笑)。でも、結果的にはもの凄くバランスの良いメンバーが集まってくれたので本当に幸運だったんですけど。でもまあ、初年はそんな感じだったんですよ。それが『義経千本桜』の時は、演出家が3人いたこともあると思うんですけど、相当な数の人がオーディションに集まってくれて、非常に層が厚かった。
本郷:50人ぐらい集まってくれましたね。
――出演者の中のどれぐらいがオーディションで選ばれた俳優なんですか?
本郷:キャスト総勢22名のうち、20名がオーディション組です。
――あ、ほとんどがオーディションなんですね。
本郷:はい、どうしてもはまらなかった役柄だけオファーを出しました。


撮影:鈴木竜一朗

木ノ下:新中納言知盛役の山崎皓司くん[快快]と、鮓屋弥左衛門役の佐藤誠さん[青年団/東京デスロック/渡辺源四郎商店]の2人だけがオファーですね。間野(律子)ちゃん[東京デスロック]がオーディションに来た時はホッとしたもんね。「あ、これで狐(の役)は大丈夫やわあ!」って(笑)。
本郷:(笑)。
――そういうところもこれまでの蓄積による成果と言えますよね?
本郷:そうなんですよ。お陰さまで「オーディションがあるよ」って言うと、いろいろな人が広めてくださって、とてもありがたかったですね。

どうやって多田さんをその気にさせるかってことに一番時間を割いた

――総合演出の多田淳之介さんとのお仕事はいかがでしたか?


撮影:清水俊洋 Toshihiro Shimizu

本郷:制作の基本姿勢としては、杉原も演出をすることになっていたので、混乱がないようにいつもならこちら(木ノ下、杉原、本郷)で決めてしまうようなことも含めて全てを一度多田さんに投げて、多田さんがどうしたいのかということをお聞きするようにしていました。スタッフを決める時にも、「こちらとしてはこういう方を候補に挙げているけど、多田さんのやりやすい方で」というように相談しながら進めました。当たり前のことかもしれないですけど、とにかくそれだけはブレないように気をつけていました。多田さんを主軸にしてこの作品は作るんだ、と。それだけは最初から決めていました。
――客観的な印象として、多田さんは制作的な配慮にも長けている演出家だと思うんですが。
本郷:ええ、凄くやりやすい方でしたね。なんて言ったら、失礼かもしれませんが。こちらが「こうしたい」ということについては、基本的に「それで大丈夫です」というスタンスをとってくださって、もちろん本当に困ることだけはキチンとNGを伝えてくださる。本当にもう大人な方だったので、非常に助けていただきましたね。


撮影:清水俊洋 Toshihiro Shimizu

木ノ下:そうね。制作的なことではないんだけど、多田さんのことで忘れられないのが、最初に打ち合わせをした時のことですね。作品全体のイメージをお伝えしたら、「じゃあ、それに添って作る感じですねえ」って。「肩書きは総合演出だけど、基本的には他の方が演出するシーンには口を出さないし、それらを繋いでいく感じのことはやります」って仰ったんですよね。それを聞いて、「あ、これはまずいことになったな」って(笑)。その後はもう、どうやって多田さんをその気にさせるかっていうことに一番時間を割きましたね。稽古が始まる直前まで。『義経千本桜』のビデオを8時間ぐらい掛けて、あれこれ言いながら一緒に見たり。
本郷:急な坂スタジオでしたけど、お昼過ぎから閉館ぎりぎりまでぶっ続けでしたよね(笑)。
木ノ下:とにかくこれが凄く面白いんだということと、なおかつそれが多田さんの作品のテーマとも結びつくんだということをどうやったら伝えられるのか、相当頭を悩ませたよね。
本郷:ビデオを見終わった時に多田さんが大興奮して下さったんですよね。そのことに私はすごく感動して。「ああ、これで面白いものになるに違いない」って確信しましたね。
木ノ下:あれがひとつのヤマだったね。ほんとに嬉しかった!
本郷:お互いの距離があの時にぐっと近づいて、「一緒に作るんだ」という思いが増しましたね。
木ノ下:演出家に作品への興味を強く持ってもらうために何をするかというと、まずは作品に含まれているいろんな要素の中から必要な部分を取り出して紹介するんですね。そして、それがその演出家自身の世界観とどこでどう結びつくのかということを説明する。そこを踏み誤ると後で取り返しの付かないことになるので、非常に気を遣います。だから今回も多田さんの最近の作品を全部観て、「多田さんは今、こんなことに興味があるんじゃないかな?」ということを見つけ出して、それがいかにも『義経千本桜』という作品と深い関連があるように見せていくという・・・いや、もちろん、実際に関連があるんですけどね(笑)。とにかくその作業はこちらサイドにとってとても重要な仕事でしたね。

横浜には、「新しいもの」「分からないもの」に対する免疫がある

――劇場のキャパシティもこれまでよりかなり増えましたよね?


撮影:清水俊洋 Toshihiro Shimizu

本郷:前回公演はSTスポット(横浜)とアトリエ劇研(京都)だったので、どちらもキャパは50席ぐらいだったんですけど、今回は春秋座(京都)が200席、にぎわい座(横浜)も300席ぐらいに設定したので、いきなり飛び級した感じでした。
――その分、プロモーション等で何か特別な動きはされたんでしょうか?
本郷:特別なことは何もしていません。地道に広報活動をやった気がしますね。それこそこれまでの2年間で築いてきた下地があるので、公演に対して興味を持って下さる方が増えて、お話しに行けば、協力してくださるという方がたくさんいたんですね。それは本当に成果だなと思います。2年前までは「何ですか、木ノ下歌舞伎って?」という感じでしたから(笑)。
――ジャンルの境界線を超えさせる要素が多いカンパニーだと思うんですけど、舞台専門誌以外のメディアに取り上げられるケースも多いのでは?
本郷:そうですね。全く関連がないわけではないですけど、木ノ下に伝統芸能関係の執筆依頼などがこの公演終わりで急に増えましたね。関西は特にいろんな問題が今起こっていることもありますし。
――横浜市民に向けたアプローチはどんなことをされたんでしょうか?


撮影:清水俊洋 Toshihiro Shimizu

本郷:木ノ下歌舞伎としてはそんなに手厚くはできなかったんですが、ただ、にぎわい座のスタッフのみなさんに協力していただきPRをしていただきました。
――横浜のお客さんの反応はどう感じましたか?
本郷:どうなんでしょう?横浜だからという特別な感じはなかったと思いますけど・・・。
木ノ下:まあ、誰が地元で誰がそうでないかは分からないですからね。でも、ノリはいいなって思いましたね。横浜。
本郷:ああ、確かに。上演するには素晴らしい町だと感じました。なんて言うか、「新しいものよ、ようこそ!」という感じで受け入れてくれる環境だなって。
木ノ下:そうそう、「新しいもの」「分からないもの」に対する免疫が凄くあるよね。
本郷:「何色か分からないものがきたな」じゃなくて、「なんか面白いものをやってるな」みたいな感じですよね。
――それこそこの土地が持つ特色のような気がしますね
木ノ下:そう思いますね。風通しの良さって言うかね。
本郷:そこが京都とは違う所ですよね(笑)。
木ノ下:(笑)。それを言おうか言うまいか迷ったけどね。京都は「じっくり」って感じやね。素性のはっきりしているものを長く見続ける、そうやって成長していく過程を楽しむ、みたいな感じが強い。
本郷:そうそう、パッとは食いつかない。
木ノ下:じわじわ食いついてくる感じやね。

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