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最終回「解散」 ゲスト:小池博史(パパ・タラフマラ主宰/在籍期間:1982年~2012年) 聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~2012年)

12.05/05

小池:日本って昔からずっと「世間社会」であり「村社会」だからねえ。それってまったくアート的じゃないんだよ。アート的発想と対局にあるのが、「世間」であり「村」なんだ。だけど、日本人って大体、「世間」と「村」でしか生きていけないんだよね。そういうことでいえば、俺もよく30年もやったなと思うけれども。そんな世間だの村社会だのを蹴飛ばしながら。

山内:本当に。「今、自分たちの団体を立ち上げたばかり」という人たちが、30年前の小池さんたちのようなエネルギーというか、原動力になるような根源的な何かを持っているのかっていうと疑問です。

小池:考えすぎなんだよね。

山内:考えすぎですか?

小池:考えすぎて不安ばっかり抱えてたら、そりゃ何もできないと思う。少子化と同じだよ。みんな不安になっちゃって、やせ細って、草食化しちゃう。だからもう子どもを作るなんて怖くてしょうがないって言うわけだよ。そうやって世界はどんどん悪くなっていくんだなあ。どんどん、みんなで悪い方向に一生懸命ずるずる行くわけですよ。みんなで疑心暗鬼になりながら落ちていく。ハムレットの世界ですよ、まさしく。疑心暗鬼になりながら、みんなでハーメルンの笛吹き男*2についていくようなものだよ。そういう社会になっちゃったんだよね。

山内:それでも一生懸命創作を続けている若手もいますし、それを支えようとしている若い制作者もいっぱいいると思いますので、そういう後輩たちに対して何か伝えるとしたらどんな言葉をかけますか?

小池:みんな村社会から脱した方がいいよ、とはしみじみと思うかな。でもやっぱり、みんな自分が生きやすい、自分を褒めてくれるような村で生きていくのが一番いいわけです。

山内:いいっていうのは、楽っていうことですね。

小池:そうだね。楽なんだね。楽なんだけれど、それってアート的思考とは反するから。何をやりたいのかってことにもよるけど、例えば知名度を上げたいだけならアートなんかやんない方がいいよね、たぶん。つまり、それは作家としての、まぁ制作者も同じだけど、矜持の問題なんだよ。

山内:矜持ですか?

小池:そう、人としての矜持の問題。本来、アートってさ、未来からの照り返しを意識してこそ成り立つと思うけれど、みんな、世間的成功だけを夢見るのと同時に、自分が楽な方向へと向かおうとする。村にいる限りは安泰、それで良いじゃないか、とね。そういう状態を脱しないことには、どんどん悪くなる。

山内:そうですよね、つらさはどんどん増していくんだろうなという感じはありますよね。

小池:窒息死しそうなんだ。じゃあ、どうするかっていうと、そこで状況に対して大きな投げかけをしようとするのではなく、「窒息しそうな自分たちはどうしましょう?」ってことを見せたがる、多くがね。それがリアリティだと言ってしまうような阿呆もたくさんいる。そんなことやったってしょうがない。なのに、それを変に持ち上げるんだよ、メディアとかが。「これが今の日本なんです。リアルなんです。」って一生懸命持ち上げるわけ。さっきのハーメルンの話じゃないけど、「みんなで死んでいきましょう」っていうことをメディアも、アーティストも、制作者も、業界全体で後押ししてる。日本政府だってそう。「クールジャパン」なんて発想は、全くそれと同じ。これはさ、身売りだよ。恥なんてどこにもない。つまり、「今売れればいいんだ」っていう発想。「日本のグランドデザインなんかどうでもいい。そんなバカバカしいことやっているより、今なんだ、将来のことはさておいて」っていうことをやっているのが日本政府だからね。どうしようもないよ、はっきり言って。最悪だと思いますね。

山内:どうしてそんなことになるんでしょうか?

小池:それは一言でいえば感性不在だな。感性が余りに薄くなってしまった。身体が消えてしまったと言ってもいい。身体不在の人が批評家なんかやっていたりするから、ますますおかしくなる。左脳だけの人間がどうして批評なんて出来るのかって言えばね、いつの間にか知識というものが最もいいものだってされていったわけだよ。なぜかっていえば、分かりやすいからさ。分かりやすさは危険性を孕むが、そうは思えなくなったんだなぁ。みんなバカになったんだよね、要は。

山内:本当に日本人が総“身体”不在化というか、総“感性”不在化しつつあるなぁと、私も感じるんですが、しかし本当にマスがそうなりつつあるなら、そこに対してどうアプローチしていったら、それを取り戻せるのでしょうか?

小池:だから、一生懸命に異を唱えて、提言するしかない。一生懸命やれることをやるしかない。

山内:具体的にはどんな働きかけをしようと考えていますか?

小池:自分ができることをやるしかないんだけれど、アプローチの方法は考えなければならない。例えば、日本人にとって理解が真っ先に必要になってしまったならば、理解させる手立てを提示しなくてはいけないかなと思う。

山内:理解させる手立てとは?

小池:やっぱり言葉が必要なんだろうね。本を書いたり、語る場を作ったり、出向いたり、学校に行って教えるというのも同じで、そうやって言葉を使いつつ、少しでもいいから広がってくれればと思う。ただ、今の日本はね、システムばかりが重要視されるんだ。システムの話の方がわかりやすいからね、どうしてもシステムを変えないとっていう話になって来る。本来は、システム作りはアーティストではなく制作者がやるべきだけどね。いずれにせよもっと大きな枠組みを作らないとだめだと思いますが。

山内:小池さんは今後、システム作りや地域の文化作りの方にシフトしていこうとは考えていないんでしょうか?

小池:あまり考えてないね。

山内:今後もあくまでアーティストとして訴え続けていきたいということですか?

小池:そのほうが価値があると思うんだよね。システム作りは他の誰かでもできるんじゃないかと思うけど、僕がやっているような作品は、僕以外では出来ない。絶対できないと思う。

山内:以前、つくば市で芸術監督として、作品づくりと同時に地域の文化を作るシステムに対する提言も行なっていたと思うんですけれども、そういう機会が再びあるとしたら、どうしますか?

小池:もちろんやりますよ。でもまぁつくばも、あれだけやってもね、市長が変わった途端「このシステムやめます」って、簡単に消えちゃうわけだよ。そういうばかばかしいところを見てきていると、一方では徒労感も残りますよね。だからシステムを担保させるような仕組み作りが必要となってくる。ただ、やってきたことは自分の中に残っているわけですよ。僕の記憶にも残っていれば、僕自身の体にも染み込んでいる。そういう意味では、決してマイナスではないんだけど、自身があと何年活動できるのかなって考えると、そんなに長い時間じゃないからね。これから30年はできないでしょ、たぶん。

山内:では、これからの方向性としてはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。

小池:作品を作るっていう柱と、言葉にしていくっていう柱と、その両方でやっていかないとだめだなと思っています。あるいは、単なる舞台っていうメディアだけじゃなくて、そこから派生させた、例えば今度のサーカス展*3もそうだけど、そういう広がりがあってもいいかなと思う。そうすると、ベンダースが撮ったピナの映画*4のような方法もあるだろうし、いろいろ方法は変えていかないとな、とは思いますね。

山内:なるほど。新しい団体を設立するというよりは、そうやって活動領域を広げていきたいということですね。

小池:団体を設立することもあるかもしれないけど、まずは別方向でとりあえず3年間は一生懸命やってみる。日本でね。

山内:教育に関しても、P.A.I.を「舞台芸術の学校*5」という新しい名前にしたのは、舞台芸術家を養成するだけじゃなくて、いろいろな表現方法の根幹になるような強い身体をつくっていこうという考えからなんですよね。

小池:はい。そうですね。

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