制作ニュース

第1回「パパ・タラフマラ黎明期」ゲスト:白石章治(現NHK報道局チーフプロデューサー/在籍期間:1982年~1985年)聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~)

11.12/01

日本でアートカンパニーを経営することはやっぱり不可能なのか?――「パパ・タラフマラ解散」というニュースを耳にして最初に感じたことだ。常に舞台芸術シーンの第一線に立ち続け、国際的にも高い評価を得てきた彼らの選択は、追随する数多のアートカンパニーにとっても大きな関心事項に違いない。なぜ彼らは30年もの長きに渡りカンパニー(芸術団体)という形態を維持できたのか?そして、なぜ今その幕引きをしようとしているのか?そこには、芸術的側面だけでは語れない、制作的な背景が存在しているはずである。
このコーナーは、老舗アートカンパニーのラストを締めくくることになった若手制作者・山内祥子と歴代の制作担当者たちとの対談を通し、“制作者の視点”でその歴史を紐解いていくインタビューシリーズ。 第1回目のゲストは、カンパニー草創期に制作を務めた、白石章治さん。

もう始めっから観るものを拒否する演劇だった。

山内:白石さんは、1982年のパパ・タラフマラ(当時は、タラフマラ劇場)発足時にファウンダーとして関わってらっしゃったわけですけど、どういう経緯でご参加されたのかをまずお聞かせいただきたいんですけれども。

白石:当時、小池さんはTBS映画社(現名称・TBSビジョン)っていうテレビ制作会社にいらしたんだけど、彼が学生時代に一緒にやっていた宗田さんと話をしているときに勢いで劇団を立ち上げる事になって大学時代(一橋大学)の仲間に呼びかけたのね。僕は当時まだ大学生で小池さんがかつて創設した学生劇団にちょっと関わってたんだけど、学生から見たら小池さんは突出した才能を持った人だったから、「まあ一緒にやってみようかな」ぐらいの気持ちで参加しました。他のみんなもだいたいそんな感じじゃないかな。

山内:小池さんは社会人だったんですよね?それじゃあ会社に通いながら、劇団もやって…。

白石:いやいやもうスパッと辞めて。

山内:へー!?そうだったんですか。それは知りませんでした。当初、白石さんはパフォーマーとして参加したんですよね?

白石:まあ、そんなに「出たい」という思いがあった訳じゃないけど、当時、寺山修司とか唐十郎とかそういうのが好きだったし、特に寺山に惹かれてて、「ああ小池さんは寺山の正当な系譜にいる人なのかなあ」みたいに思ってたしね。それに当時は凄い演劇ブームだったし。

山内:その時代に一緒にやってた劇団と言うと…。

白石:夢の遊眠社をはじめとして第三舞台とか3○○とか色々あった。今でも活躍してる役者さんでその当時の人って多いですよね。

山内:なるほどなるほど。で、タラフマラ劇場の一番最初の演目が『壊れもののために』(82年/青山SHY)ですよね?実はこの公演についての資料がほとんど残ってないんです。小池さんも「残しときゃよかった」って後悔してるんですけど。どういう作品だったんですか?

白石:なんか凄かったですよ。

山内:(笑)

白石:あの、もうね…なんかとにかく青山の、えーどこだっけ、青山通りに面したビルの狭ーい地下室を借りきって、そこに小池さんが水をはって…。

山内:水!なんかうっすら聞いたことはありますけど(笑)。

白石:客席は鉄パイプで作っていて、観客はこう体を小さくしないと観れなくて、演者の方は、小川(摩利子)*1さんなんかはずぶ濡れになっちゃって何もかも透けて見えちゃうみたいな感じで、とにかくあの…なんていうのかなあ、もうやりたい放題で(笑)。

山内:(笑)

白石:それでたくさん友達をなくしたよね。みんな2度と観に来なかった(笑)。なんせ、水はワシャワシャかかるわ、暗い所で酸欠で倒れそうにはなるわ、みたいな芝居だったからね。数年後にはタラフマラもだいぶポップになったけど、小池さんの作品としては一番ドロドロした「黒魔術」的な作品だったよね。

山内:黒魔術…(笑)

白石:カルト的っていうかね。まあ一般の人から見れば、もう、始めっから観るものを拒否する演劇だった…。

山内:(笑)お客さんはたくさん来たんですか?
白石:少なかったね。劇団員のツテで来た人ぐらい。

山内:そうですか。それに、そんなだったら客席もほとんど組めないですよね。

白石:そうそう、限定50席くらい。お客さんもみんなビショ濡れになって…。

山内:(笑)。

白石:なんかもう「ありえないだろ」みたいな。

山内:すごいですね(笑)。

白石:なんていうのかな、時代がバブルに向かっていく中で、なぜかわかんないけど、パパ・タラフマラはそこから既に時代に先行してたね。あ、当時はタラフマラ劇場*2か。

山内:団体名が変わった時にはまだ、いらっしゃったんですか?

白石:いや俺はね、出たり入ったりしてて…。全然ダメな人だったから。

山内:そんな。

白石:いやホント自分も学生気分だったし、お金も役者の技量もスタッフのレベルも、小池さんが表現したい世界にはやっぱり程遠かったよね。でもまあ、彼自身は、会社勤めをしてた頃を引き合いにして、「あの馬鹿馬鹿しい仕事に比べれば…」ってよく言ってたよ(笑)。

山内:(笑)。やっぱり、その当時は、みなさんでお金を出し合ってたんですか?団員費があったっていう話を聞いたことがあるんですけど。

白石:ああ、そうかもしれない。

山内:バイトして団員費払いながらやってた?

白石:そう。だから卒業したらみんなどうするのかなって、なんとなく思ってた。まあ、当時は「モラトリアム世代」とかいう言葉もあって、まだ留年しても会社に入れた時代だったんですよ。

山内:凄く年上の留年生が、一学年に一人はいるみたいな、そういう感じですかね。

白石:今と比べると本当に就職環境が良かったから。

山内:みんな学生時代を満喫して…。

白石:満喫っていうか、まあ学生時代をたっぷり使って、自分が一生の仕事に出来る事は何かを十分に考えられたよね。

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