制作ニュース

第3回ゲスト:木元太郎(こまばアゴラ劇場・青年団制作部/アトリエ春風舎支配人)

12.09/01

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「劇団」の仕事、「劇場」の仕事

――青年団に入団した経緯は?

CINRAでの活動を通して、前田司郎さん(五反田団)や多田淳之介さん(東京デスロック)のような才能を輩出している「こまばアゴラ劇場」や「青年団演出部」という存在への興味が高まっていたんですね。そんな時に、チラシかなにかで青年団の入団説明会があるっていうのを知ったんです。「説明会」とあったので、半分は取材するようなつもりで参加してみたんですけど、行ってみると「青年団の中であなたが関わりたい部門は何ですか?」というアンケートを渡されて。「ああ、もう入るのか」って感じで(笑)。俳優の場合はその後でオーディションがあって入団するまでに絞り込まれるんですけど、その他のスタッフについては、「とりあえずやらせてみなきゃ分からんだろ」ってことで、後日、平田オリザとの面接があって、多くの場合はそのまま一度入団となるんです。ですので、青年団にどうしても入りたくてというよりは、その周囲の活動に興味があってという形です。

――入団して最初の仕事は?

青年団ではスタッフも俳優もすべて入団して最初の1年間は「新人期間」という形で平田のワークショップや講義を受けていって、その中で課題を発表したりしながら、人数が絞られていきます。それらを経て若手公演に臨むことになるんですけど、その若手公演で制作を担当したのが最初の仕事ですね。ただ、その若手公演の前に一度しっかり経験をつめればと、小指値と繋がりのあったパパ・タラフマラで公演の手伝いをさせていただきました。そこで票券やパンフの編集などを経験させてもらい、その経験と青年団のノウハウを自分なりになぞっていきながら、若手公演「革命日記」(2008年1月~2月/アトリエ春風舎)に臨みました。その公演が本当の意味での制作者としての第一歩ですね。

――キャリアのある2つのカンパニーの仕事を最初に体験できたことは貴重ですね?

アトリエ春風舎での若手公演とは公演規模が違うことも大きいですが、パパ・タラフマラは大変な現場だったので、鍛えられたという実感はありますね。青年団の場合は、入団したタイミングがすごく良くて、順を追っていろいろと経験させてもらえたというのが大きかったと思います。「革命日記」の直前に本公演の「火宅か修羅か」(2007年12月~2008年1月/こまばアゴラ劇場)で野村(政之)のもとで票券を担当させてもらえましたし、新人期間が修了した頃に、ちょうど青年団の活動が忙しくなってきていたので、アゴラ職員の新規募集をしていたし。

――青年団に入団することとアゴラの職員になることは違う?

青年団のメンバーの一部が、アゴラで職員として働いている形になります。制作部の場合は、どちらの仕事も連動している部分があるので、明確な違いがあるわけじゃないんですけど、新人期間中は「劇団」の仕事が中心で、「劇場」の仕事はほとんど経験していなかったので、アゴラ劇場の職員を志望しました。

――「劇場」の仕事に興味を持つようになったのは、青年団に入ったことがきっかけですか?

いや、今でもそうなんですけど、他の制作部メンバーのように青年団以外の特定のカンパニーの制作につこうとは思わないんですね。それは多分、小指値での経験が大きくて、もしも自分が特定のカンパニーの制作になるなら、彼らぐらい自分に刺激を与えてくれるところじゃないとやる意味がないなと思うんです。そういったカンパニーに一度は携わって、離れたわけなので。それでCINRAの活動を通して、いろんなカンパニーと関われる「劇場の仕事」というものへの興味が増していったんだと思います。

――アゴラ劇場だと、特に地域の枠を超えたカンパニーとの関わりが大事になっていきますね。

そうですね。職員になって割と早い段階で、「サミット」(※注 アゴラ劇場主催で開催されていた地域カンパニーを紹介する舞台芸術祭の当時の名称)に関わりたいという思いはありましたね。ちょうど岡田利規さん(チェルフィッチュ)がフェスティバル・ディレクターだった頃ですね。

――「サミット」に関わりたいと感じたのは、福岡出身だということも関係しているんでしょうか?

大学時代から福岡の小劇場公演を観るためにちょくちょく帰省していましたし、意識していた部分はあったかと思います。ちょうど最初に関わった「サミット」に小指値の他に、飛ぶ劇場(拠点:北九州市)が参加していましたし。その時は主にチラシ折り込みなどが担当で、参加劇団と直接関わったりするような仕事はできなかったんですけど、その次の杉原邦生さん(KUNIO)がフェスティバル・ディレクターとなった「サミット」(2008年)では、人手が限られてることもありますが、実行委員で窓口を担当しました。

――フェスティバルの実行委員として特に苦労したところはどんなことですか?

新しいディレクターを迎えての立ち上げということもあって、引き継ぎらしい引き継ぎもなく、コンセプトもイメージもほとんどがゼロからのスタートでしたから、それは大変でしたね。ただ、アゴラでこういう仕事につけてよかったのは、僕は青年団という劇団の制作でもあるので、自分が旅公演を回っていた時に「どのようにその土地や劇場の人たちに迎えてもらっていたか」ということを再認識できたことですね。自分が同じことをできているだろうかと、逆の立場で意識することは多いです。

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