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「今あるモノを花ひらかせよう」鹿児島県大隅半島に移住したダンサーJOUの芸術地域おこし活動レポート Vol.1

13.02/20

「劇場」という枠をはみ出して、「地域」の中で活動されているダンサー・JOUさんによる新コラムがスタートしました!鹿児島より、芸術と地域のあれこれについて発信していきます。第一回目は、芸術を活用した地域おこし協力隊の活動についてなどをご紹介。


住み慣れた秋葉原駅前の風景
ここを2012年3月に出て、九州へ上陸した。

皆さん、こんにちは。これまで、Next連載コラムの多くが「劇場」から発信されていますが、「劇場」を持たない立場での「地域」での芸術活動と、自身の専門分野であるダンス的感覚からの考察も混ぜ込み、芸術と地域のあれこれについて、これからしばらくの間、書かせて頂きます。

舞台の分野で言えばコンテンポラリーダンス系の界隈に、「JOU(じょう)」という名前で活動しています。おそらく、全国でも初の「踊る地域おこし協力隊員」となり、昨年11月より鹿児島県で、おそらくこれも全国でもお初な「芸術を活用した地域おこし協力隊の活動」をしております。

第1回目は、自分がここに至るまでの背景と地域おこし協力隊のことを、まずは簡単にお話することにします。

【多視点を持つ】


今住んでいる地域。鹿児島県肝属郡(きもつきぐん)肝付町(きもつきちょう)川上校区なので川上と呼ばれるが、小中学校はすでに休校してしまった。

私が生まれて初めてダンスの世界に足を踏み入れたのは、OL時代、23から24才にかけての時期です。それまでは、親に連れられて、雅楽や歌舞伎等、古典芸能は時々見には行っていたものの、特に好きと言うわけでもなく、舞台芸術には全く縁のない生活をしていました。

OLの習い事の後さらに、ダンスの道にハマっていったのが、日本国内ではなく、アメリカ、マレーシアという海外生活の中であったことにより、日本での舞台芸術の仕組みや成り立ちそのものに全く無知・無関係なまま、独自のダンス人生が始まったわけです。日本の舞台芸術の状況を理解する時に、このような背景から自然に、外からの視点が自分の中にあったことは、後々とても役に立ちました。

2000年より東京を中心に活動をはじめ、日本と海外の舞台芸術の仕組みや環境の違いに、日々、カルチャーショックを受けながら、12年かけて、舞台の上だけでなく、通訳のお手伝いでの特殊な立場などからも多面的に、日本のダンス社会を深く広く学ばせて頂きました。多面的、多角的に場や関係を捉える。これは、その前からも後々も、本当に役に立ちました。
後々、プロデューサーの皆さんと接するようになり、優れた方程、細やかな感覚や多面的な視点を持っておられることが多いように思いますので、一面的な関わりから多面的な関わりへと挑戦していくことは、きっと後々、制作の仕事をされる方にとっても、有意義なことなのかもしれません。
当時は、「これは役に立つから」という意識はなく、初めての経験をただただ面白がっていただけでしたが、オモシロイ!と前に進むことが一番の秘訣でもあります。

多視点を持つことは、持たない人には見えない可能性を見ることにつながると同時に、ビジョンを共有できないというジレンマを抱えることでもあります。

第2の人生ともいえるダンス道において、師匠もいなければ、先輩も後輩も同期も、仲間もいない。やり方も常識もわからないので、行き当たりばったりの活動でした。意図せずして、多視点を抱えながらの創作作業は、到達点のイメージを共有化できないジレンマにもつながりました。

また、自分の中で、劇場にのせる作品という、舞台芸術の仕組みを理解できるまでにも時間がかかりました。それらを時間をかけて理解しながら、同時に、その仕組みに沿うことに興味を失っていく自分がありました。

【枠は自分で作る】


自分の身体1つでどれだけの表現ができるか?というテーマで挑戦したソロ作品[MIZOU] (2010年)
撮影:大洞 博靖

「劇場」という枠の中で上演されるダンス作品を作るのが振付家であり、ダンスを踊るのがダンサーであるとするパフォーミング・アーツと言われる分野の中で、未知数の多さに惹かれ、そこばかりを追求していたら、いつの間にか、「劇場」という枠からはみ出して、地域の中にいた、というわけです。

地域と言う枠の中で、人や場所の持つ独自性や物語に触発されながら、未知数の出会いが起こす化学反応にワクワクする。
「自分にとってはそれ自体が作家としての創作活動であり、ダンスはその実現のためのツール(道具)でもあるのだ」という言葉になるまでに、さらに時間がかかりました。
と同時に、「表現者としての自分自身の身体が、そうした経験からのフィードバックを受けて変容し、進化していく様がまた、深く面白く、生涯をかけて行なう活動でもある」という多面的多重活動をしている人も、他には見当たらないので、その自覚をするのにもまた、時間がかかりました。

今になって言えることは、「枠」に沿って生きようと思えば、苦しくなります。自分に合わせた枠を、自分で作ってしまうこともアリなのではないでしょうか。

【起点と着地点は何か、自分に問いかける】


鹿児島県人の心の拠り所、桜島火山。噴煙は日常茶飯事。

枠を自分で作らざるを得ない時、その指標をどうするか?
自分にとっては、「起点と着地点」を問いかける過程で、答えを見つけることが多かったです。

職種や立場に限らず、自分の目の前のその人が、何に反応し、何を面白いと感じ、やりがいを見い出すのか?それは、何故なのか? そして、何を目指してその活動をするのか?
その人の起点と着地点を知ることは、大切なことだと思っています。
そこがハッキリ見えたら、お互いに気持ち良く仕事をしたり、関係を育んだりができるための道が見えてきます。
自分自身にも、その時々で、今やっていること、やろうとしていることの「起点と着地点」を常に問いかけます。

言葉で繰り返し、問いかけ、答える作業と同時に、答えに迷ったときは「腑に落ちる」方向へ進むのが一番だというのが、これまでの人生で納得できる方法でした。

直感的な感覚と意識と論理とが混ざり合った中でのその人それぞれの「活動の起点と着地点」においても、同じことが言えるのではないかと思っています。そしてその感覚があるかないかで、仕事上の判断力や応用力もおのずと変わって来るように思います。

【自分なりの活動の先に、鹿児島があった】


撮影:黒木正剛 鹿児島県肝属郡肝付町 二階堂住宅にて
(サイト)
日常の風景の中にダンサーの身体をおく「dancer in a space」は、地域の風景の再発見につながるプロジェクト。

さて、ダンスの活動の中で、自分なりの作家性や創造性を追求すると、劇場での作品の売り買いの仕組みから逸脱してしまうジレンマが常にあったわけですが、その打開策として、生活や価値観そのものを問いかける作業を始め、実際の行動に移すことにしたのが、鹿児島への移住につながりました。

それまでも、「海外で活動する日本人アーティストの話を聞く会」TPAMでのアーティスト・シェアブース「independent artist japan」の呼びかけ等、様々な越境・連携・恊働・情報共有の提案や実行をしてきたのですが、イベント的に短期間ではなく、生活そのもの、活動そのものを沿わせていったらどうなるかと、という思いもありました。

その移住という行動の結果、というか過程の1つが「地域おこし協力隊」へとつながっていったのです。

さて、第2部です。
皆さんは、「地域おこし協力隊」というプログラムをご存知でしょうか?
総務省の過疎地域支援プログラムの一環として鳩山政権の時代から始まり、当初の目標は300名。都市部の若者を過疎地域に送り込み、定住促進と地域活性を図るプログラムとして、設立3年後には3000名、という目標を掲げていたと聞きましたが、実際のところは、まだ400名程度のようです。その促進の目的もあってか、昨年から始まった「遅咲きのひまわり」という連続テレビ番組でも四万十川に移住した地域おこし協力隊の若者の話という設定となっています。
詳しくは、こちらで情報を見ることができます。
http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/


ソトコト2013年2月号移住特集でも取り上げられました

地域おこし協力隊員は1年間の任期で、延長は最長3年とされています。ブログを書いて、全国に向けて更新することができるので、地域での活動をアピールする1つの方法にもなるのではないかと思っています。このブログを書こうとして初めてわかったのですが、協力隊員がブロガーになるには、受け入れの行政窓口からの推薦が必要です。このところ、立て込んでしまって、あまり更新できていませんが、私もこちらに、鹿児島での地域のあれこれを掲載しております。
・踊る地域おこし協力隊日記
http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/blog/4171/

この地域おこし協力隊というシステム、都市部から地方に移住し、活動してみたい人だけでなく、逆に、地方で行政と関わりながら活動をされておられる方で「都市部から経験のある助っ人を雇いたい!」と切に思うプロデューサーの方にとっても、有効な仕組みなのではないかと思います。

この仕組みを使う為の条件は、申込者が「指定都市部から過疎指定地域(受け入れ地域)に住民票を移す」ということです。

受け入れ側の行政窓口から提示される条件は、予算の上限や大枠での割り振りの指定があるだけで、勤務内容や労働条件に関しては、受け入れ側の事情により、様々に異なります。

行政と連動してアートイベントなどのプロデュースをされることができている方には、欲しい人材にお給料を払う予算の確保になるでしょう。

行政内での予算を通し、補正予算として後から精算、という形になるらしいのですが、事業費の予算枠も、協力隊員1人につきいくら、という設定が決まっています。

行政内で、どのような予算枠でそれらを申請するのか、ということに関しては、それぞれに任せた形になっているようです。

もちろん、期間が1年間と限定されているので、期間が切れた後、その予算で行なった事業をどのように継続させるのか、という問題もあります。

こういうプログラムの中に入ってみると、「枠」や「規定」に縛られて「できない理由」をさがすのではなく、「枠」をどう解釈し、使いこなすのか、という応用力と実行力がある人が、組織の中でも突出してリーダーシップをとっておられるように思いました。これは、発見でした。

具体的にどういうことがあったのか、どのような発見があったのか、それはまた、次回以降にお話したいと思います。


■JOU(じょう)■
23才で踊り始める。ダンスで人やモノや場をつなぐ作品作りをする。2008年ソウル国際振付祭にて外国人振付家特別賞を受賞。2013年、肝付町踊る地域おこし協力隊として鹿児島県に移住し、劇場舞台の枠を越え、地域おこしとつながったダンス活動を創作中。おおすみ夏の芸術祭(OAF)2012発起人。おおすみ踊る地域案内所所長。
JOU日記: http://odorujou.net
大隅文化生活http://osumiart.exblog.jp/


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