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『せんだいメディアテーク 考えるテーブル「あるくと100人会議」 〜まちの再生、アートの再生~』第三部「明日を生きるために」-10、20、100年後の仙台-

13.03/18

2、仙台という「街」の未来

■横山真さん(演劇家)
この10年を振り返ると仙台の「杜の都の演劇祭」も10年前はなかった。動くという事が変化を生むというのが確実にあるんだなと思う。「杜の都の演劇祭」があったことで震災の際に外に出ていくという発想が出来たように思うしOCT/PASSがテント芝居をしていたり、そういう土壌があったことが強みとなったと感じる。


■坂口大洋さん(仙台高等専門学校建築デザイン学科准教授)
僕は現在の状況をまだ危機的な状況だと捉えていて今、僕等より下の人がこの状況をどう見てるか?10代の人が劇場にどういうシンパシーを持っているかが気になっている。それにより20年先、30年先の像は変わる。例えばARC>Tの活動や大人たちの振る舞いをどう見ているのか、を考えたい。


■小川智紀さん(横浜・STスポット)
ARC>Tの活動を見ているとあらためて「街」の事…街というのは僕等が知覚できる一番広い範囲のものだと思うが・・分割しないように、分業しないように「街」という単位で考えるということは「全体性」を考えるということだと思う。

その中に教育の問題も、福祉の問題も、芸術文化の問題もあり、合わせて考えていきたい。それが分業になってしまうと意味がなく、狭い意味でのサービスになってしまってはいけない。学校教育が行うことの一部をアーティストがお金に換えて請け負うようなことはあってはならないと思う。学校でも、福祉の現場でも、ARC>Tの活動は芸術活動の一環だし、ARC>Tは堂々とそのことを主張すべきだと思う。芸術、文化、ダンスは劇場の中にもあるし、劇場の外にもある。どっちが偉いというものではない。
(STスポットのある)横浜という場所は、アーティストが一杯いるが、同時に制作者、プロデューサーが一杯いる。一緒になって育っていくという状況がある。そういう人たちが現場で申請書を書いたり若くても行政とやりとりしたり、少しづつ力をつけている。

制作者が失敗することもあるし、アーティストが期待をかけて育ててきたのに滑っちゃうこともある。そうやってお互い育ちあう関係がありから横浜は比較的若い人が元気なんじゃないかなと思う。仙台にも人材の可能性がある。特に制作者やプロデューサーを大事にしていった方がいいと思う。最初のうちは成果が出ないこともあるかもしれないが、長い目で見て育てていって欲しい。そのかなめにARC>Tがあるのかなと思っている。

3、「劇場」…・建物を指すだけではない「場」

■千田みかささん(すんぷちょ ダンス/体操/美術)
広場だったり、えだみつだったり、1Fにあったりとか、公園でやるとか、神楽を組むとか避難所で公演するとかというのは、似てるなと感じた。あまり敷居がなく、気軽に入れるところではないだろうか。逆に今、そういう場所が全然ないんだなと思った。

塩釜に母が住んでるのだが、母に「今、何が欲しいと?」と聞いたら「老人が買い物をして少し疲れた時に座れるところが欲しい」という返事が返ってきた。本塩釜の駅の隣のパン屋さんのカフェが以前はあったのだがそこでよく憩いをしていたそう。今は津波で流されなくなってしまった。そういう劇場があればいいのになと思った。公共のホールではないかもしれない。公共ホールがそうなればいいなとも思うが、話を聞いていて皆がそういう場所を求めてるのだと感じた。

それと今すぐにでも皆に考えてもらいたいのは公演本番中に、よく子供がゲームをしていたりするが私はそれは「やめなさい」と言わなくてもいいと思う。なぜなら子どもの時間とは少し違うから。

あと、小さな赤ちゃんを抱えたお母さんが、子供が泣くからと劇場に行けないという声を何度も聞いて来た。また10-BOXで公演を行った際に自閉症の友人を誘ったら「怒られるからいやだ」と言って来てくれなかった。たぶん怒られたことがあったのだろうと思う。

(作り手は)シビアな劇空間を作りたいという思いもあるかもしれないが少しぐらい許してくれてもいいのにと思う。ホンジュラスに行った時の体験だが、映画を観賞する際、皆、大騒ぎして見ていた。そういうことが可能になることが、さまざまな背景のある人が劇場に足を運べることに繋がるのではないかと思う。本当は劇を観に行きたいそういう人たちもいる。劇を見ることは「人権」だと思う。


■なかじょうのぶさん(劇団三カ年計画 劇作/俳優/演出)
障害者を拒むような芝居や、子供の入場を拒む芝居は確かにあるがそういうものは見ない方がいい。拒む芝居しかしていないから。20年前、客席のお客さんはうるさかった。芝居やってるとやめろ!とか言われた。金返せ!と言われたこともある。途中で芝居を中断して、あと5分でわかるって客席に言いながら芝居をしていた。客席ってうるさくていいんです。うるさければ、その程度の芝居しかしていないんだと思えばいいだけ。

あと行政は信用しないほうがいい。何かをやりたいんだったら自分でやらなきゃ駄目。中途半端にやろうとするから行政うんぬんという話しになる。本気で表現しないと生きていけないんだったら行政のやることを待っていられない。行政を待ってたら津波で死んじゃうよ。

あと僕は栗原で芝居をやっているが、震災以後、新作はもう栗原でしかやらないと決めた。
地元で生きるんだって覚悟を決めた。再演は他の場所でもやります。声がかかればどこでも…行政からでも。声がかかれば。でも新作は栗原でしかやらない。それは生まれて育った場所だから。表現もそこに向けて行う。

今、栗原にライブハウスが出来て、そこで毎月、「誰も笑えない短編コント」というのを新作でやっている。誰でも来ていいよって言ってて、子供も大人も関係なくみんな見ている。終わると皆、不機嫌な顔して帰っていくが、そうやって子供って大きくなっていくんだなと思ってやっている。

だから子どもが大人に気を遣う必要はないし、大人が子どもに気を遣うこと必要もない。本気で見せていけばいいんだと思っている。だから児童用とか老人用とか分ける必要はない。生きてる連中とただ接しているだけだから。


■原西忠佑さん(ARC>T事務局)
ステージはどこにでも作れるし、劇場でなくてもパフォーマンスは出来るなと思った。劇場を建物としてだけ指すと、これまでとあまり変わらない気がする。でも、大事なことを「そこで起きること」、「その中で起こしたいこと」に目を向けて、それがどういう影響を及ぼすと考えているのかそこまで見据えて人が交わればいいのではないかと思った。

今、劇場でしか出会わないということがあるが、20年後に、出会う場所、ハブになる場がもっと増えていればいいと思う。

学校でもアーティストと子供が出会うようになってきているが、それが増えるなら公共ホールでも、市民センターでも、居酒屋でもいいと思う。いろんなサイズ、ジャンルが町中に溢れるといいと思う。


■鈴木拓さん(ARC>T事務局長)

行政の担当者が変わると方針が変わるというのはマズイと思う。すべてにおいて文化は半官半民でやるべき。人が変わることで築きあげてきたものが担保されないというシステムがそもそもおかしい。そこは民間の知恵も交えて保つべきだと思う。

劇場が一時期避難所になっていたときに、学校は教育が必要だから明け渡す、病院は医が必要だから明け渡す。でも劇場はいらないから最後まで避難所であるというのはおかしいと思う。それは完全に行政管理の劇場だからそうなってしまうわけでこれが半官半民だったら、こういうときこそ文化が必要なんだという声も反映されていたと思う。担当者が変わることで今まで使えていたものが使えなくなった。それが概念の違いで変わっていくことはマズイと思う。

「劇場」について第2部で必要なかったというニュアンスの発言をしたがそれはあの時、活動していく上で必須ではなかったという意味で、「劇場」は大事な場所だと思っている。最初は広場で上演していたものを、より見やすく集中して見れる環境という意味で世界中の人が長い間考えてきた結果として「劇場」という形態がある。それが否定されるわけがない。であれば、器と中に入っている精神が完全にズレてしまっているということではないか。「劇場」は、作品を見ることに特化した作りになっている。それが何故か有事の際に、役に立たないという結論になるのかが悲しい。行政の人がすぐに変わらないと言っていたが、すぐに変わらないのであればなぜ何十年もかけて、こんなことになっているのか不思議。そういうことを正さないと20年後も変わらないのではないかと思ってしまう。

僕は「杜の都の演劇祭」をやっていて町の中で劇空間を作るということには可能性を感じている。町中に365日、「杜の都の演劇祭」をやっているカフェがあるといいと思っている。午前中は子供向けの演劇をやって、午後は「杜の都の演劇祭」をやって、夜はお酒を飲みながら演劇が出来るスペースがあればいいと思う。

人が集う場所として、何かを観に行くとか、何かを食べに行くという単純な衝動ではなくて用事がなくても行くというような…仙台の演劇人にとっては10-BOXが少しそれに近い。何かちょっとしたことで行ける、大きな用事がなくても。あんな僻地にあるのに(笑)。それは八巻さんの存在が大きいと感じている。やっぱり人なんだなと思う。

仙台の町中にそういう空間を作るのは「杜の都の演劇祭」のプロデューサーとしていつか実現したいと思っている。


■美峰子さん(TheaterGroup“OCT/PASS”・俳優)
震災以降、OCT/PASSで、県内の内陸部のえずこホールなどでの公演や、沿岸部の石巻や東松島などでツアーで公演を行ってきた。そのほとんどが芝生の上などの野外で上演してきた。演劇はどこでもできると実感した。震災前の動員記録は800人程だったが、震災時にはそれをはるかに上回る来場がありこれほどお芝居を観たい人がいたんだということに驚いた。

ARC>Tの活動の中でも、子供向けのプログラムを実施したところお母さん方から、もっとと言う声やありがとうという声をたくさん頂きこんなにニーズがあったんだということを思った。

劇場ということなら、良い劇場の条件は、

  1. ビルの1階にある
  2. ガラス張りになっていて外から何か楽しそうなことをやっている雰囲気が伝わる
  3. 子供たちが集まってきたときに面白くなければ観ないで別の遊びをしていていい
  4. …これは震災時のツアー公演で、子供たちが面白くないとそのあたりで遊び舞台の上にチョロQとかを走らせてきたりもしたが、それでも最後までその場所にいた。子供にとって「出ていって」と言わない場は、演じ手としては胸中は複雑だったが子供達にとっては大事なことだと思った。

  5. 大人の為に飲み屋やバーが併設している
  6. 絵を描く道具がある…美術館が一緒にある

■白鳥英一さん(OtoOpresents 俳優/演出/劇作家)

「岡山県天神山文化プラザ」は、丁度行った時に石巻の子供たちの書いた習字がロビーに貼ってあった。美術館が隣にあって、美術の部屋が一杯あった。あと月に一回、劇団やプロデュースのチームに無料で貸し出して上演を行い40年間運営していた。とても羨ましく思った。運営の仕方なのではないか。


■千葉瑠依子さん(ダンサー)
町でアートをするときは、町が好きでないといけない。理解のある人に出会う事が大事で、受け入れてもらわないとできない。色々な場所で活動していて思う。現在、勤めている「えずこホール」では3月に被災地支援で「0歳児から入れる無料コンサート」を企画した。

子供用のスペースがあったらいいという意見もあったがどうせなら生の音を聞かせてあげたい、逆に(専用のスペースを)作らないという案が出て採用になった。ホールではボランティアの方にお願いして託児サービスを実施しているがそのボランティアの方たちから「今回は私たちは託児をしたくない。子供にも音楽を聞いて欲しいから泣いたって別にいいじゃないの」と言われてそれを受け入れた。ケースによると思う。毎回「えずこホール」では、企画のたびに、「何歳からにしますか?」「今回は4歳児からということにしましょう」と話し合って決めている。ホールは駅から徒歩20分かかるので、乗り合いタクシーのサービスを作りひとり片道200円で来れるようにしている。そのホールの行きづらいと言う点を逆にサービスとして強みに変えている。誰に届けたいのかを考えたときに、どういうサービスを行うのか。例えば未就学児は入れないと決めるホールがあってもいいと思うしいろいろな間口を用意する事業があってもいいしどういう意思を持ってやっていくのかということがホールとしても人としても大事になってくると思っている。

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