制作ニュース

『地域のシテン』第2回 三浦基・田嶋結菜×野村政之

14.02/01


制作手帖×ON-PAM地域協働委員会
リレーインタビュー『地域のシテン』第2回

ゲスト:三浦基(演出家/地点代表)、田嶋結菜(地点制作)
聞き手:野村政之(こまばアゴラ劇場・青年団制作/ON-PAM地域協働委員会)

制作手帖とON-PAM地域協働委員会がコラボレーションして不定期でお贈りするインタビューシリーズ『地域のシテン』。全国各地域で活動する舞台制作者が自ら聞き手となり、注目すべき「地域のキーパーソン」のシテン(視点、支点、始点)に迫ります。

2013年7月、京都・銀閣寺にほど近いビルの地下に、地点のアトリエ「アンダースロー」がオープンしました。
かつてライブハウスだったスペースを、地点のメンバーが総出でリノベーションし、カフェスペースを付設した、魅力的な空間に生まれ変わらせ、すでに活発に活動を行っています。
2005年から京都に拠点を移し、国内外各地で上演活動を行っている劇団「地点」が、どのようにしてアトリエを開くに至ったのか――その経緯とビジョンを、代表の三浦基さんと制作の田嶋結菜さんにお聞きしました。劇団の継続的活動、劇場の公共性、地域における拠点形成の事例など、様々な問題提起を含んだインタビューです。ぜひ最後までお読みいただければと思います。


京都に移る時からアトリエを持ちたかった。

野村政之さん
(左)田嶋結菜さん、(右)三浦基さん

――地点の活動が始まってから、京都に移転するまでのことをまずお聞きしたいと思います。
田嶋:三浦さんの「青年団若手自主企画」としての最初の公演が『海と日傘』(作:松田正隆)で、それを地点の最初の公演としてカウントしているので、1997年ですね。
三浦:若手自主企画で1998、99年とやって、その後僕が2001年までパリに留学して、帰って来て、「実験工房」から「青年団リンク・地点」というふうに変わっていった。
――青年団の人に聞いたら、アトリエ春風舎がオープンするときに使っていたのが地点の人たちで、アトリエのリノベーションの作業を主にやっていた、とか。
田嶋:アトリエ春風舎のオープンが2003年の秋。
三浦:パリから帰って来ていくつか作品をつくって、それからアトリエの話が出てきた。青年団の事業としてやっていたので、基本的には杉山至さん(舞台美術家/青年団、地点などで舞台美術を担当)がメインで動いていて、リノベーションに関しても一緒にやった感じかな。『三人姉妹』(作:チェーホフ)とかはあそこで育てたから、かなり愛着はありますよ。
田嶋:『三人姉妹』を2003、04年と2回、その後『雌鶏の中のナイフ』(作:デイヴィッド・ハロワー)をやって、それが実質東京でつくった最後の作品になったんです。
――2005年に京都に移る動機になったのはどの辺りだったんですか?
田嶋:個人的には、地点が青年団から独立するにあたって「京都に拠点を移そうと思う」という話を聞いて、「いいねぇ」と。まだ私も駆け出しだったので、とくに東京に地盤もないし、何かを捨てるっていう感覚もなかったです。
三浦さん自身はパリから帰って来てからすぐに京都での滞在制作を何本かやっていて、『三人姉妹』の前作にあたる『Jericho』(作:松田正隆)という作品も京都芸術センターでつくっていたし、ほかにも何本か滞在してつくっていました。ちょうどその時KYOTO EXPERIMENTの前身となる「演劇計画」(京都芸術センターによる演出家育成プロジェクト)でも作品を作りませんか、という話が来ていて。
三浦:結局、劇団が移転する前の年には、僕個人の仕事で京都滞在が半年に及びそうになっていたというのがあったんで、京都で稽古をするというのは自然のことだったんです。劇団ごと引っ越すとはいえ「来る人だけ来る」っていう感じだったんで、僕個人も何かを捨てるというような感じは無かった。……まあでもよく考えると、今「どこか行け」って言われて劇団ごと引っ越すってなると確かに重い気はする。まぁ若かったし。
田嶋:若かった。失敗して東京に戻ることになっても30歳くらいだな、っていう感覚で。若かったからできたっていうことはありますね(笑)
――京都がよかったんですか?
三浦:当時、京都芸術センターがかっこよかったよね。稽古場を無料で3ヶ月間使える、というのは東京では考えられなかったし。スタッフもみんな自転車で集まってくるし。すごい恵まれてると思った。どうせ独立するなら、新天地でやるのがいいだろう、ってなんかはしゃぎ回った気はしますね。
――春風舎を使ってた時もずっと長いこと稽古に使ってたんですか?
三浦:帰るのが面倒で春風舎に泊まってたからね。稽古も13時くらいから22時くらいまでやってた記憶がある。
――稽古期間にするとだいたいどのくらいだったんですか。
三浦:2ヶ月くらいじゃないかな。
――春風舎でつくって、そのまま発表するっていうスタイルですね。
三浦:そう。
田嶋:京都に移転すると同時にセゾン文化財団の助成がついたんですよ。その申請書に達成目標を書かなければいけなくて、もう既に「アトリエを所有する」ということは書いていました。それはやっぱり春風舎の経験が大きくて、「稽古してそのまま本番をする」というイメージをかなり具体的に持っていたというのはあります。
――じゃあ、もう京都に来た時から「アトリエを持つぞ」という意識にはなってたんですね。
田嶋:なってましたね。
三浦:そうね、なってた。
田嶋:でも最初のきっかけを紐解くと、アンダースローができるようになるためには、もう一段階、漠然とした思いだけでなくて、確固たる意志をもつ必要がありました。
三浦:京都に来た当初は、普通に車に乗って大原とかに探しに行ってた。ただ漠然と無鉄砲に「空き家ないかな」みたいな。でもそんなので全然見つかるわけがないから。
それでだんだん劇団の公演が忙しくなってきて、作品つくるので一杯一杯になって5年くらいが過ぎた。でもなんとなく、京大の横に空き地ができると一応電話してみて「土地いくらですか?」みたいなことはしてたんだよね。
田嶋:「3億です」って(笑)
三浦:「あたりまえだよな、そういうことじゃないよな」みたいな感じでしょげたりして(笑)。水面下で思いはずっとあるわけ。でもきっかけがなかった。

アトリエ開設の決意~オープンまで

アンダースロー

――きっかけになったのはどういうことだったんですか?
三浦:装置を保管するために、倉庫を借りなきゃいけなくて、高速道路で40分くらい行ったところ(滋賀県栗東市)に、貨物用のコンテナの大きいのを月に3万くらいで借りてたんですよ。劇団においては「再演するかしないか」という判断は「装置を捨てるか捨てないか」つまり倉庫の容量で決まるわけです。
代表作と言っていい『三人姉妹』の装置を捨てたのが最初の大きな節目で、「ああ、捨てるんだな」と。あの時のことはよく覚えてる。それで、作品と装置はどんどんたまっていくし、倉庫を維持するのもだんだん馬鹿馬鹿しくなってくる。
と同時に、稽古場の問題が出てきて、京都に来た当初は京都芸術センターで満足してたけど……だんだん煩わしいことが出てきた。
ふたつ側面があって、ひとつは、規模が大きくなっていくに従って「稽古場がちょっと狭いんじゃないか」という物理的なこと。もうひとつは、システム的な制約。芸術センターでは1作品につき3ヶ月無料なんですね。で、劇団がだんだん忙しくなってきて、再演のために1週間だけ稽古するとかで、2作品……下手すると3作品くらい同時に稽古するという現象が起きてくる。申請上でAという作品からBという作品に行くときに、稽古場の部屋が変わっていくということが煩わしくなってきた。
それでいよいよ、稽古場の問題と、倉庫の問題が大きな問題として立ちはだかってきて、いつも劇団員がお世話になっている仲介不動産の人に、「とりあえず京都の碁盤の目のなかでどんな空き家でもいいから、1万円か2万円くらいの格安で装置を置いておくところを探してくれないか」と、本気で言ったんです。前々からお願いしてはいたんだけど、遂に本気で。
田嶋:でも、倉庫物件が見当たらなくて。それで三浦さんがある時「せこいこと言ってごめん。アトリエないかな?」と。
三浦:碁盤の目の中って貨物コンテナとか無いんですよ。それで仲介の不動産も、「もう、ないです」ってお手上げだという雰囲気のときに、「こうなったらアトリエだ」と言ったら、アンダースローの物件が出てきて。「なんだ、こんなに近くにあったんだ」みたいな(笑)。10年前にライブハウスを閉鎖してから、ほとんど廃墟状態で残ってたんですね。それで今の場所に出逢った。
ただ……今出来上がったもの見るとみんな褒めてくれるけど、最初の廃墟状態を見た時は「ほんとにこれをやるの?」っていうことはみんな思ったし「いくらお金をかけたらいいのか」とか、そこで本気で「アトリエもつのかどうか」ということを問われた気がする。
でもたぶん、2005年から京都に来てずっと「アトリエほしい」というのが共通の意識だったからメンバーの間では「この機会逃したらもうないっしょ」というのがなんとなく共有されていた。不動産屋の力も大きかったよね。
田嶋:そうですね。
三浦:担当の人がなんとなく先に先に話を進めてくれたから。「この物件は抵当に入ってない」とか「大家さんはこういう人で理解がある」とか「以前はこういうライブハウスだったから大丈夫なはずだ」とか、管理会社と面接したり社長さんに会いに行ったり、手はずをどんどん踏んでいく。こっちも資金がなかったから、契約を結んで「いずれ借りますが、今は改装資金も動ける時間もないので、1年半はフリーレントで無料で使っていい」ということにしてもらって。雰囲気としてはもう断れないですよね。そういうことがあって融資の問題を同時並行で進めていった。
――アトリエ実現に進んでいくきっかけになったのは何年ころですか?
田嶋:劇団らしい話なんですが、2011年の4月に、劇団員が4人やめたというか、やめさせたというか、袂を分かつということがあって、その時に俳優も2人やめたので、再演できない演目が出てきた。それが「倉庫をどうするか」ということと関係していました。
「劇団をどういう活動体にしていくか」ということを劇団員同士で共有するということが無い限り、アトリエをもつということはあまりにも大変なことなので……毎月家賃が発生して、しかもアンダースローの場合は、かなりまとまった額の融資を受けて改修するということが前提だったということもあります。私はこの2011年の4月のタイミングで考え方が変わったというか、劇団のあり方が変化したということが大きかったんじゃないかなと思います。
――ある意味で京都に来てから、その次の結節点ということですね。フリーレントになったのはいつですか?
田嶋:契約は2011年の冬でした。
――その時点ではいずれここにアトリエを置く、と決めたと。
田嶋:そうです。
三浦:フリーレントになった時は、とにかく物を置きたかったから「ラッキー」みたいな感じです。それでそこから1年半で金策をするという。でも、金策といっても結局は融資なんです。設備資金か運転資金か。運転資金はもう通っていたのである信頼性はあったんですね。でも設備資金となると事情もまた別で、当時一度申請して失敗してるんです。
田嶋:物件を見つけたのが、運転資金の融資がおりた直後くらいだったんですよ。それでまだ返済も残っているのに新たに設備資金で融資を受けるのが難しいということ。あと、大型の融資を受けるにあたって3期分の決算がないといけない、という条件があって、法人化したのが2010年の10月だったので、その時点で3期分の決算が済んでなかったんです。それで1年半のフリーレントにしたというのもある。
三浦:今思えば、もう少し物件を早くみつけてれば、一気に運営資金と設備資金の融資を申し込んでいた可能性もあった。でも時期的にまだ借金を半分も返済してないとなったときに、一度ダメ元で申請したら駄目だったというのがあって、税理士の先生ととにかく黒字決算を出そうということで向かっていった。
つまりそこから1年半の間は決算を待ってるだけだったので、フリーレントをしていても僕自身はリアリティがなかった。「1年先送りかー」と。逆にその分、図面を作ったり、ちょっと様子を見に行ったりとかして、「ホントにここ使えるのかな?」とかいう不安と期待がありました。この時期は、逆にいい時間だったのかもしれない。
田嶋:ただ、決算をして、(2013年)4月にゴーを出して、融資が決まったのは6月……融資が決まってから動いたわけではないんですよ。「やる」って気持ちが固まってたから、かなり先走ってて、内心ひやひやしながら不安を抱えつつ進めてるみたいなところもありましたね。
三浦:常にフライングしまくりだから(笑)。でもね、「やるんだろうな」と他人事みたいに思ってると、みんなもそう思ってるし、「融資がおりなかったらどうするんだろう?」ってことは考えてもしょうがないんだよね。だからそれは面白い経験だった。
それよりも、アンダースローが出来て、プレオープンで初めて人がどさっと入ってきた時にちょっとびっくりした。「あ、つくっちゃったんだ」と思って(笑)。それまでいろいろ四苦八苦して不動産屋とか業者とかいろいろ打ち合わせしたりしてきたけど、なんとなく舞台装置をつくってるようなイメージだったんですよ。でも突然人がどさっと入ってきた時に「あ! やっちゃった。俺、けっこうやっちゃったな」と思った(笑)。他者が入ってくるのが初めてだったから。
田嶋:私は、鍵を渡された時ですね。工事中ずっと扉もついてなくて、鍵がなかったから。それで、いきなり鍵を渡されて「ガーン」と思って(笑)。
三浦:けっこうそんな感じ。実感としては(笑)。
田嶋:「やー、えらいもんつくってしまった」って。
三浦:むしろ、よく体がもったよね。オープニングの作品(『CHITENの近未来語』)を稽古しないといけないのに、工事がもう押せ押せで、稽古の時間を割いて作業に入るみたいなことばっかりだったんで。死ぬかと思った。1週間のうち3日も稽古できない状態……ほとんどが作業にまわるという。
――改修作業ってメンバーで作業をしたんですか?
三浦:工務店にも勿論頼んではいて、できるだけ人件費を安くするために「できるところは自分たちがやりたいから」ということで、綿密に打ち合わせをしてやってたんだけど、一回我々が助っ人で入った瞬間に「できる」ってことがバレて、ふつうに業者さんのように「明日何人来れます?」みたいな感じでガンガン呼ばれて。(笑)
田嶋:電気屋さんとか水道屋さんとかいろんな人が出入りするわけじゃないですか。すると、劇団員が現場を手伝ってるのを見て驚くわけですね。普段、「7人の劇団(※現在は8人)ってちっちゃいな」「吹けば飛ぶようなもんだな」と思ってたんだけど、業者の皆さんは2、3人でやってるから「劇団の人、なんかぎょうさんおりますね」って、「人手がこんなにある」みたいな感じで。そういう意味では、劇団という「人だけが集まっている」状態のポテンシャルをすごく感じました。
三浦:人しか居ない、人なら出せる。(笑)
――へぇ、面白いですね。どのくらいやってたんですか?改修作業。
田嶋:1ヶ月半。ものすごい突貫工事で、プレオープンの日付が入ったチラシを見て、大工さんが「マジすか?」と青ざめるという。
三浦:大工さんとしても工事期間を延ばすと値段があがっちゃうから早くカタを付けたいんだけど、思いのほか難物件で地下から瓦礫を運ぶのだけでも大変な労力で。でもあれ面白かったね。酷い作業だった。
田嶋:演劇やってると、いろんな作業を経験するじゃないですか。でも今回で、地点のメンバーの中で「今までで一番辛かった作業」というものの経験値がいきなり引き上げられるということになりました(笑)。瓦礫を運び上げる作業がすごくて……楽しくやってましたけどね。

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