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『せんだいメディアテーク 考えるテーブル「あるくと100人会議」 〜まちの再生、アートの再生~』第三部「明日を生きるために」-10、20、100年後の仙台-

13.03/18

4、「制度」「仕組み」をつくる。また「制度」を活用する

■甲斐賢治さん (せんだいメディアテーク/企画・活動支援室室長)
メディアテークの人間としてではなく、個人として話をしますが、なかじょうさんの言われた作品を作る真剣な度合はすごく重要で、アーティストに限らず技術スタッフなどにとっても関係することだと思う。それと同時に、今回、図らずも震災があってこういう場ができて、それは財産だと思う。この財産をどう活かしていくかはこれから。熱意を傾けた作品、質の高い作品に反映されていくのは間違いないと思っている。

「劇場」の話が出ていたが、伝承という事を考えた際に、「劇場」という流通装置は優れた作品を創造できていれば、おそらく100年後も残っているはず。一方、「劇場」という装置もあらためて考えていく必要があると思っている。

同時に、話は飛ぶが、フランスにはアンテルミタンという失業保険がある。これは文化芸術に携わる人のための失業保険。映画の技術者やスタッフ、監督たちが自分たちで作った制度で、1920年代から30年代にはじまった。演劇の人たちも今はそこに属している。確か、1年の内、2ヶ月か3ヶ月、作品を作り発表すればあとの7か月ほどは失業保険出る。そういう仕組みを映画関係者、舞台関係者が作ってきた。

またイギリスにあって、今、日本でも話題になっているアーツカウンシルという制度がある。今日の話でも出ていたが、行政だけが制度を決めるのはおかしいので民間が入るべきじゃないかと言われ1940年代から準備されて、アーツカウンシルという民間の組織がイギリスの文化予算を丸々預かって、配分する仕組みがある。日本でもこの制度を導入しようとして国や地方自治体が議論を開始している。

つまり、熱意をもって舞台に力を投じて作品を作っていくことだけではなく、劇場を技術的に支えるだけではなく、もうひとつ、制度を作っていくということに皆がリンクして取り組まないと、何も獲得できないと感じる。これはナイーブに作品の中だけ、劇場のなかだけでは語れない。僕等はこれまで素朴な民として過ごしてしまったみたいで
やはり制度を獲得し、制度を作っていくことが大事。政治と言う面で、欧州では自分達で法律を作るために議員を送り込んで制度を獲得してきたという現実がある。今日はそういうことの始まりかもしれないなと思って見ていた。

制度のもうひとつの側面として「劇場」や「美術館」も制度である。これは学芸員たちと意見交換して同意する意見なのだが、昔、美術館に行くという事は、目の前の一枚の絵に感動して涙を流すような能動的な行為だった。でも今、さらっと流すような見方をしている人が多い。それは美術館という制度が劣化していると言える。もしくは固まってしまっていると言える。

映画館もそうで、被災したことで、上映会で人がわいわい言いながら見る状況が出来たがそうではないときに映画館に行くと隣の人と言葉を交わすようなことはない。これは映画館が洗練され、その洗練された状況に、お客さんが合わせなければならない状態になっているということ。そのふるまいがルールになっているのでそのルールから自分を外すというのは怖い事だからなかなかできない。

同様に「劇場」も固まってきている。それをほぐす必要がある。映画館はその課題に一生懸命取り組んでいる。映画を見てトークを行ったり、学者を呼んで一緒に映画を見たり。なので「劇場」も劇場自体が、もう少し幅の広い分野に対してアクセスできる装置になる必要がある。

二つの制度…自分たちの在りようをどう社会化していって存在感を知らしめていくか、それはARC>Tの延長線上にあると思うし、もうひとつは僕たちが普段使う劇場というものを見直していく必要がある。劇場の中で上演して、公園でも上演を行い、また劇場で上演するなどいろいろな取り組みを行っていかなければならないということに気づくタイミングが来たと思っている。


■坂口大洋さん (仙台高等専門学校建築デザイン学科准教授)
間もなく「劇場法」という法律が制定される(注:「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(劇場法)」は2012年6月に成立)。当初想定されたものより抽象化されたものになる見込みだが、制度の話で言うと劇場だけ設置法というものがなかった。美術館や学校など施設を作る際には、必ず設置法があった。劇場だけは、興行場法や消防法などそこで行われる行為には法律があったが、劇場そのものにはなかった。これまで劇場関係の人からずっと求められてきた法律で、劇場とは専門的な機能で、専門的な人材が必要で、専門的な運営が必要というもの。制度はもちろん大事だが、それ以上に制度をどういうふうに使うかが大事。これからいろいろな部分で変化が起こってくるのでよく見ておかないといけない。

法律は理念的な部分が多いので、人によって使う幅をもたせた冗長性が高い。例えば、今回の震災でみなし仮設ということで(民間賃貸施設の)借り上げを行ったが、あれも災害法のある解釈に基づくと現金給付が出来る。知事の判断が必要とか、手続きはいろいろ必要なのだが、あるロジックを攻めていくと
非常にいろいろなことが出来る可能性がある。

制度を作ることは大事だけれども、どういうふうに運用していくのかということの方が大事。指定管理者制度も要求水準をどう書くかで縛られる。横浜の急な坂スタジオは事業委託だが、創造活動をする上では指定管理者制度でないほうがいい場合もある。急な坂スタジオは当初、ディスカッション方式で評価をしていた。アドバイザリーがいて、「こういう問題がある」とボードメンバーに対して言って、それに対してボードメンバーが「では、こういうふうにしよう」と提案して運営のロジックが決まっていた。

だからうまく考えていくと“制度は使える”ということになる。既存の制度も使える。しかし使うためには、いろいろな問題を共有し、ネットワークを作り、詳しい人がいるということが必要になる。

ARC>Tは、何百人かのメンバーがいて、既にそこへのシンパシーもあるのだから、難しいけれどそれを力に変えていって、動いていくとひょっとすると北九州も動くかもしれないし、北海道や愛知も変わるかもしれない。そういうことを意識して活動していくのも大事なのではないかと思う。

最後に、ARC>T代表の樋渡宏嗣さんからこの1年間、ご支援頂いた世界中の皆様への感謝のご挨拶がありました。(※2012年7月 代表は原西忠佑さんに交替) 


≪総評≫

震災が起こったときに見えた「劇場」の役割、「街」のあり方、「作品」の必要性。それを社会から問われ、応答し、体感した仙台を中心とした演劇人の意見は、他の場所よりも未来を先取りして議論しているかのように感じました。

同時にそこには、「被災地」という言葉ではひとくくりに出来ない、地域ごとの、人ごとの被害ごとの、格差ごとの、無数のレイヤー(層)があるように感じました。この会議においても意見は人それぞれでひとつの見解に集約することなど出来ないと思います。けれども同時に、少なくとも同じ実感をある時期に持ち、その無数のレイヤーをまとめずにレイヤーごとに対応する向き合い方をした東北の演劇人の実感の中に、重要なこれからの時代を考えるヒントが詰まっていると感じました。

それは迷わざるを得ない位置にあえて留まり、その場所で人と向き合いながら、声を聞きながら、ひとつひとつ答えを出し、けれども、その答えをまたすぐに次に起きた反応によって更新していくような振る舞いに思えました。彼らの選択した「寄り添う」とは、そういうことではないでしょうか。

地震や津波に限らず自然災害はいつ、どこで起こるかわかりません。また自然災害の状況に限らず、文化芸術と生活する人との関係や人の幸せな生活とはどういうものかという問いは、今まさにありとあらゆる人への問いであると思います。

この会議で行われた議論や意見や実感を参考に、次の時代を模索し、また貴重な教訓に満ちたアーカイブとしていつでも参照しながら、人と街と生活と文化と、そして演劇と劇場と表現することについて繰り返し考えていきたいと思いました。

文/川口聡


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