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『せんだいメディアテーク 考えるテーブル「あるくと100人会議」 〜まちの再生、アートの再生~』第二部「まちの再生、アートの再生」

13.03/18

7、施設においてのワークショップ

■鈴木拓さん(ARC>T事務局長)
今のキーワードで、ARC>Tと施設で共同でプログラムを作っている(在宅の要介護者等に対し介護サービスを提供する)指定居宅介護支援事業所の「花いちもんめ」の施設長に話を聞いてみたい。今までは、依頼があるとマッチングしそうなアーティストを紹介していた。それを、まず「花いちもんめ」の施設利用者に話を聞いて、対象を絞ってそこに明確に向けると決めて、プログラムを作っていった。去年(2011年)の11月までは何でもいいという形でやっていたがそれを以降変えていった。

■千葉さん(指定居宅介護支援事業所「花いちもんめ」・施設長)
12月にARC>Tの方から一度総括をしましょうという話があり、それまでに築いてきた関係性もあり、言いやすい状況になったのを機にこちらの思ってる事を話した。以降は、やっては検証し、やっては検証し、プログラムを作っていった。これまで俳優がボランティアに来ることはなかったのでどういうふうにやっていけばいいのかやりながらでないとわからなかった。今も最適なところには到達していなくて、お互いに協議しながらいいものを作っている最中と捉えている。

実はこれまで気付かなかったことに気付かされた。今までも注意深く利用者を見てきたつもりだったが本当の心の底では何を求めているのかということに、気持ちがいき届いていなかったのではないか。そういう反省が出てきた。

ARC>Tさんの活動を受けている人たちを観察してきたが、これまでは半分が理解して喜んでくれればいいだろうとい考えだった。でもこれでは足りないので、ひとりひとりはどうなんだろうと思いARC>Tさんと話し合ってきた。最初にお願いした頃、来てくれる人はやはりプロなので皆さん上手く、私たちは感嘆していたが、利用者からみれば何をやっているのかわからないというのが第一声だった。

表現が速いので、高齢者は理解できなかった。なので、分かりやすくゆっくりととお願いした。それはアーティストに対して失礼なんだけども利用者を基準にしないと進まないので今はそこをお願いしている。

それで、満足度が5割から6割になるのかは分からない。そこを手さぐりでやっていっている。高齢者だったらこういうやり方がいいというのもウチの施設だったらいいというだけのことなのでこれが特別養護老人施設やグループホームに行けばやり方は違ってくる。

ウチはどちらかというと理解度の高い人が多い。でもその半分ぐらいしか理解できなかった。だからひとつひとつのケースからプログラムを作っていく必要があると考えている。

■鈴木拓さん(ARC>T事務局長)
1回の実施の為に何度も打ち合わせを行うということは、施設側の負担もかなりあるかと思いますが。

■千葉さん (指定居宅介護支援事業所「花いちもんめ」・施設長)
時間を割かれるという意味では負担になるが、効果の方が大きいので、負担としては考えていない。なおかつ、職員の教育面でも我々が本気になってやってと言ってもなかなか本気になれなかったところが、ARC>Tが本気になってやってることで職員が変わってきた。今までやれなかった職員もやれるようになってきた。また、他の施設でもおとなしかった人が、タフにやれるようになった。施設を越えて広がり、影響が生まれている。

■鈴木拓さん(ARC>T事務局長)
芸術文化の効果や成果はなかなか測れない。効率化を追求すると文化芸術では意味がないことが多い。ARC>Tにしても、打ち合わせで現地に行くのに片道1時間かかる。稽古も本番をやる会場で稽古することで手間が多くかかっている。でもそれ以上の効果や成果があることを実感している。こういう点や理念を、行政レベルで街づくりに反映させられないだろうかということを考えている。

■千葉さん (指定居宅介護支援事業所「花いちもんめ」・施設長)
ボランティアに来る方は、皆さん一芸に秀でているが継続性があまりない。ところがARC>Tはアーティストが変わったり、検証することによって、同じことをやるにも変化をつけて実施してくれるので継続できている。参加者も飽きずに取り組むことができる。そのうち人間関係もでき、中身もよくなり、今では何をやっても喜んでもらえる。そういう状況になっている。また来てくれたね、となる。何でもありになる。なので、恰好いいもの作って一回来ても高齢者は喜ばない。

「寄り添うという事」すなわち「時間をかけて自分達の一生懸命さや人間性を相手に伝えるという事」。それができていれば喜んでくれるし、それが効果というものだと思う。なので、1年やってきたが、今、やめられると困る。ARC>Tのいいところは継続性であり、他のボランティアではできなかったことだった。

8、非日常の時間以後、人々を繋ぐもの、新たな仕組みについて

■千葉さん (指定居宅介護支援事業所「花いちもんめ」・施設長)
雄勝法印神楽の再生の話がさっき出たが、「法印神楽だから集まった」というお話に対して、私はそうは思えない。何でも集まったのではないか。それは、震災というのは非日常であり、非日常の中に日常が来るとそこに行きたくなる。だから法印神楽であろうとARC>Tであろうと館内放送が流れれば皆さん集まってきたと思う。

それは皆がいかに日常を求めていたかということだった。芸能人が来て皆が集まったりしたのも、同じ心理からだったと思う。非日常下では日常を感じさせてくれるものは多ければ多いほどいい。被災地では被災者同士で集まって慰め合っても励みにならない。被災地の外から来ることが繋がってるんだと実感できる。我々のことを思ってくれてるんだという思いが伝わると、頑張ろうと思える。だから東松とか石巻の我々からすれば仙台の人は被災者ではない。感覚的に。実際、仙台も被災してるんだけども、でも感覚としてはそうではない。我々が被災した後、三陸海岸の真っ暗闇の中を車で走ってきて仙台が見えたときに電気が灯っていた。ここは別世界だと思った。そういう感覚が抜けない。だから仙台の人が来てくれることは、被災していない人が自分たちをを応援しに来てくれると思って絆を感じられる。

中身うんぬんよりも被災地のことを忘れないで欲しい、繋がっていて欲しいと思っているのでそれが安心感になる。そこで何をするのかは問わない。それが被災地の気持ちなんだろうな思う。その後に余裕が出来た時に、芸能を楽しむとかスポーツを楽しむとかそういう心境になるのではないか。非日常下で、ホールに行って音楽を聞こうとかお芝居を観ようとかそういう発想は出てこない。

そういう中で法印神楽というのは、もちろん昔からの部落の付き合いもあるし、それが唯一の芸能だった時代もあったので、人が集まったが、それだけが自分達の存在感や非日常から解放される時間だったのかというと疑問が残る。

■坂口大洋さん(仙台高等専門学校建築デザイン学科准教授)
千葉さんのお話しはよく理解できるが、ウチの大学は名取にあり、建築学科40人の中には宮城や福島から通ってる生徒もいる。40人の中には津波で実家が流された学生もいる一方、仙台市内で免震構造のマンションに住んでいる者は被害がゼロだった。親が電力会社の社員である生徒もいる。いろんなバックグランドがある。

その中で建築を作るという話をすることがすごく難しくなった。いろいろな境界線ができてしまった。さっきの話を聞いていて、ひきつけて考えると震災前と震災後で関係が違うということは、僕はもう平時には戻れないと考える。

そういうときに劇場や文化がどういう役割を持てるかと言うことは、答えはないけれども施設の外で何が起きているかという想像力を、これまで多くの公共ホールは持ってなかった…人それぞれは持っていたけども、それに対して活動を行っていく仕組みがなかった。個人が悪いという考え方もあるんだけども、仕組みでできないことも多かった。仕組みは人が作った部分が大きいのだけれども、説明を積み重ねたり記憶という言い方がさっき出てきたけども、そういうストーリーを作っていくことでいくつかは変えていける部分がきっとある。なのでARC>Tの活動はとても大事であると感じる。

もうひとつは、アーティストが発見した問題をアーティストが解決しない…千葉さん達に渡すというか、そういうことが逆に、ARC>Tの活動が継続できていること…自分達で全部完結していかなくて投げていくシステムというか、そういうシステムが今お話を聞いていて大事だなと思いました。

あと劇場が街に果たす役割の問いに対しては、再生というのはなかなか難しいしたぶん公共ホールは、東北においてはしのぐ時代になると思っている。いかに20年、30年活動を行っていくかというところにしかないと考えるが震災以後、ホールを縮小する話がたくさん出ていて、施設がなくなるということはそこに専門家がいなくなることを意味する。また専門家が来るきっかけをかなり失う。

今はいろんな活動が多岐に行われているが、これから生まれてくる子供たちはたぶんコンサートなどに出会う可能性は極端に減っていく。ホールがなくなって専門家がいなくなることに代わるオルタナティブなシステムがあればいのだけれど、それがなかなか見つからない。

そうであれば、施設なり公共ホールをどうやって使うかということしか今のところ答えが見いだせていない。専門家がそこに来るきっかけというか、そこに働いてる人が専門家であるということにしかちょっと期待が持てない状況。

最初は、震災直後の非日常下で人々に求められたものが、時間が経つにつれ日常に回帰して、徐々にまた日常の中で求められるものに変わっていくのかと思っていましたが、お話を聞いていて、震災の被害の差や復興の差、また人災を伴った被害が出たことで、加害者/被害者、とも言える関係性になってしまうことなど、震災以前にあった関係性には戻れないことが浮き彫りになってきました。

そういう場面で、震災のはるか前から地域に根差す、法印神楽などの伝統芸能が、震災で生まれてしまった違いを越えて「地域コミュニティ」として、違いを埋めあわせて人々を繋ぐのか。それとも、もっと別の要素で人々を繋ぐ仕組みを作っていかなければならないのか…「再生」と一口に言っても、元に戻ることではない、新たな構築によって「再生」しなければならない状況が見えました。

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