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『せんだいメディアテーク 考えるテーブル「あるくと100人会議」 〜まちの再生、アートの再生~』第二部「まちの再生、アートの再生」

13.03/18

5、「稽古場」、「劇場」は、震災直後、どういう場所だったのか

仙台を代表する、稽古場「せんだい演劇工房10-BOX」(→震災直後、避難所となっていた)の八巻さんによる驚きの情景のお話と、文化ホール「仙南芸術文化センター (えずこホール)」(→2011年4月から劇場として再開)の水戸さんによる被災後、早期の活動再開について葛藤と実感について話がありました。

■八巻寿文さん(せんだい演劇工房10-BOX 二代目工房長)

震災があって、不思議な情景が発生した。素朴な実感の話になるが、公演が行われない時は人がいないはずの劇場内や楽屋に人が住んでいるという情景があった。物資が届き荷物を正面玄関から搬入していた。それは劇場に慣れた人間からはとても不思議に思えた。

慰問に来た人は舞台に上がり上演などを行うのだが、その時に、照明スタッフが生き生きとして照明を当てていた。夜、館内放送で夕食後に上演を行いますのでお集り下さいと案内すると劇場が満員になっていた。チラシを大量に配布しても人が入らなかった劇場が満員になってることに驚いた。

またクラシックの有名なプロの人が慰問で演奏した際に、見た人から「上手だね」という声があがった。普段ならクラシックのプロの演奏聞いて「上手だね」という感想はなかったと思う。実に素直な感想だった。それはアーティストと観客とのこれまでにない出会い方だと思い、不思議だった。「あ、おばちゃん、それ言っちゃうんだ」と思ったし、「アーティストもそれ言われて喜ぶんだ」という発見があった。またリクエストを受けて子供向けの曲や民謡を演奏したりしていた。あんなにプライドが高かったプロのフィルの演奏家が、一生懸命リクエストに応えようとしている姿が不思議だった。

アートとか芸術…これは“いいもの(高尚なもの)”と言われていたものを、普通に生活してる人が刷り合わせてる情景だった。幸福な現場だと思った。そのことを忘れないようにしたいと思っている。活かし方はまだはっきりは見えていないけれども。

■水戸雅彦(仙南芸術文化センター(えずこホール)所長)
公共施設なので一刻も早く利用して欲しかったから(4月時点で)オープンした。
幸いなことに甚大な被害はなかったが、周囲は何も動いてる状況ではなかったので迷いがあった。そんな時に二兎社の永井さんに電話で相談して、「やれる状況なのでやりたいと思ってるんですけど…」と告げると永井さんは驚かれた。東京ですら公演が中止になっていたので、被災地でできるとは思っていなかったそう。永井さんは、「できるならやらせてもらいたい、無料公演にしましょう」と言われ、それを受けて自分の中でスイッチが入った。やったほうがいいと思った。10日間で準備し、無料チケットはわずか1日半ですべてなくなった。

やったことで、人というのはどんな状況下でも心のうるおいや、やすらぎは必要なんだなということが確認できた。やっていろんなことが見えてよかった。もしやってなかったら、震災の1カ月後、人はどうアートを必要とするのかを知ることができなかった。

東京の事業に関しては、6月頃に東京都がアートとしての支援をしようということで担当者の訪問があった。その時に「今、自分の施設がどうのこうの言う時期ではなく、県内がこういう状況になった以上、行政の壁を乗り越えて、僕等はやりましょう」という話をした。その時の精神状況は、個人や自分の施設ではなく、今、全体で何が起こっていて、自分は何ができるのか、何をした方がいいのか…で、いいんじゃないかと思った。

そこで運営委員の協議にかけ、2、3年先ぐらいまでは、地域の文化行政をやるだけではなくて、どんどん地域を出てって必要な支援をやりますと言って承認をもらった。

行政の壁を乗り越えるというのは予算が決まった事業なので、平常時には難しい。基本的には自分の行政区域の為に使うべきだという決まりがあるので。でもよく考えてみると文化行政はそういうことではない。地域にホールがあってもその市町村の人だけを対象にするのかというとそんなことはなく、外からもどんどん人が入ってくるし逆に外にも発信していかないといけない。そういうイメージでやるべきだと思った。東京の事業の窓口になって、公共の企画を10本やった。その中で、八巻さんや坂口さんも関わった雄勝の法印神楽の再生なども手掛けた。

震災があって、3日後とかに、他県ナンバーのパトカーや消防車などがどんどん入ってきた。それを見た時に、これまで平常時に行政の壁を乗り越えることはとても困難と感じていたのに、災害があって、あっという間に越えていっていた。

6、公演自粛についてと、公演は誰に向けて行われるものなのかについて

■伊藤み弥さん(ARC>T事務局(当時))
一方で、再生ということを語るときに、一度失ったという点を見た方がいいようにも思う。東京でも花見や演劇を自粛するという動きがあった。そのときに具体的な震災被害とは異なるものが失われたということになる。(会場に)逆に震災があって自分の「作る」という活動をやめようとか、自粛しようと思われた方はいますか?

※会場からは特に反応なく

■鈴木拓さん(ARC>T事務局長)
逆にこういうときだからこそ作ろうと思った方はいますか?

■樋渡宏嗣さん(ARC>T代表(当時)/SENDAI座☆プロジェクト)
自身にも家にも大きな被害がなかった中で、支援だけを頂いてるのは申しわけないなという気持ちがあった。でも止めようと思ったことはまったくなかった。それは演じるという事は自分の職業なので、やめるという事は自分の仕事を投げ出すことになる。演じることを通して支援していこうと思った。

東京公演は、東京の団体でも自粛しているところがあったので、なんで被災地から来て上演するんだという声もあったが、お客さんの反応は好評で、被災地の状況を言葉以外で伝える機会にもなり、来た方も「実際はどうなの?」と聞かれ、大変だったと思うけどよく来てくれたと言われ、東京公演をやったことで自分たちがやっていかなければいけないことが明確になった。それは自分たちは表現者なんだということ。それが存在意義であり、世の中に必要だからこそお芝居があると実感できた。

■伊藤み弥さん(ARC>T事務局(当時))
その時の東京の状況はどうだった?

■和田喜夫さん(日本演出者協会・理事長)
東京の劇場は問題が発生して公演が中止になったり、こういう時に公演を行うべきではないと自粛があったりした。公演を行うことは不謹慎ではないかという議論もかなり行われた。でも、野田秀樹さんは「劇場の灯を消すべきではない」と表明して公演を行った。永井愛さんもそう。大きく考えれば演劇というのは行動だと考える。劇場というのは心の問題を扱う場所だと考える。そのときに自分のプランがあまりに今の状況に合わないと考えた人は控えたりしたが、やはり繋がっているものがあると考えた人は公演を慣行した。多くの人が、誰を対象に自分の表現を考えていたのかというのを問い直していた。自粛の問題も含めて課題となったんだろうなと思った。

■伊藤み弥さん(ARC>T事務局(当時))
「誰に向けて」というのが今後「キーワード」になるかもしれませんね。

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