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演出家・蜷川幸雄インタビュー

10.05/10

演出家・蜷川幸雄インタビュー
 

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2010年5-6月号より再創刊し、パワーアップしてかえってきた厳選シアター情報誌「Choice!」!。連載再開、第一弾は美内すずえ原作の音楽劇『ガラスの仮面~二人のヘレン~』の公演も8月に予定されている演出家・蜷川幸雄氏のインタビューです。

 

性格も育ちもいいけど、想像力と厳しさがない

インタビューの始まりの蜷川幸雄は、いつも少し照れている。この日の開口一番のひとことも、それを自ら吹き飛ばそうとする気分が、少なからず含まれていたに違いない。

「リニューアルの第1弾に、俺みたいな年寄りが出てきたらダメなんじゃない?」

とんでもない。今年75歳になるこの人こそ、観客にとっても、つくり手にとっても、現在進行形で大きな希望だ。年に10本近い舞台を手がけながら、大きさと深さの両立を諦めない。胸のすくようなスペクタクル性を実現させながら、その中に、胸を刺すような繊細さを根付かせる挑戦を、飽きることなく続けている。そんな課題を背負って走っている理由は、ふたつの未来を諦めていないから。ひとつは自身の。そしてもうひとつは、日本の演劇の。

「一昨年やった『ガラスの仮面』で多勢の若い俳優と仕事をして、彼らが人との距離感を(物理的に)うまく取れないことに気が付いたんだよ。誰かとぶつかりそうになっても上手に身体をかわせない。相手に届く声が出せない。それはやっぱり、パソコンとか携帯とか機械を通じて人と付き合うようになったことが大きいんじゃないか。メキシコや韓国の映画を観てると、若くて野性むき出しの荒っぽい肉体を持った俳優がたくさん出てくる。このままじゃ、日本の俳優は世界に太刀打ちできないよ」

その危機感から、彩の国さいたま芸術劇場で若い役者を育てる機関として、さいたまネクスト・シアターと名付けた団体を立ち上げた。昨年の第1回公演『真田風雲録』は大好評を博したが、このインタビューの数日前、メンバーを、それまでの半数に当たる23人に絞ったという。

「みんな性格はいいんだよ。辞めてもらうことにした時も、ちゃんと挨拶に来てね。育ちがいいんだろうな。カリキュラムも言われたことはまじめにやる。でも、そこから先はどうしたらいいかという想像力がないんだな。うまくなるために今、自分は何をすべきなのか、俳優は常にそれを考えなくちゃいけないのに、それをしない。だから僕は、自分で実際にエチュードをやってみるか、うまい人を観るしかないと言ったんだけど、やらないんだよね」

もともと、前述のようにアグレッシブな役者を育成するために立ち上げた集団だから、受動に徹するメンバーの態度は蜷川を落胆させたが、猶予期間は設けていた。

「稽古場をオープンにしたの。『ヘンリー六世』(2010年3月上演)もそうだし、『コースト・オブ・ユートピア』(2009年9月上演)も、いつでも見学に来ていいよと(※この2作の稽古場は、ネクスト・シアターの拠点である彩の国さいたま芸術劇場だった)。海外だったら稽古場なんて滅多に見せてくれないよ。でも、芝居ってこうやってつくられていくんだってプロセスを目の前で見ると、ものすごく勉強になるからね。たとえば大竹(しのぶ)さんと(吉田)鋼太郎さんの(『ヘンリー六世』での絡みの)シーンなんて、演劇生活の長い僕からしても興奮するんだ。“そっちがこう来るなら、こっちはこう出る”って、モダンジャズのセッションみたいに自由でスリリングで、本当におもしろいんだよ。なのに彼らは一向に来なかった」

実は『真田風雲録』の稽古場を取材した際、こんな場面に出くわした。あるシーンをスローモーションにしようと蜷川がアイデアを出したが、ネクスト・シアターの面々はなかなかできない。何度かコツを伝えてもうまく行かないことに業を煮やした蜷川はこう檄を飛ばしたのだ。

「スローモーションは『コースト~』で多用した動きで、何度も稽古をしたんだよ。それを見ていれば、先輩達がどうやって形にしたかわかって、すぐにできたはずなんだぞ。なんでひとりも見学に来ないんだよ。勉強しないってことは才能がないってことだ」

ネクスト・シアターの稽古は、そうした演出的な動きや発声の指示から始まって、戯曲に書かれた時代の身のこなし、戯曲が書かれた時代の社会背景、演劇の歴史、参考にすべき映画のタイトルなど、蜷川自身が硬軟取り混ぜたさまざまな角度から作品をひもとく刺激的なものだった。それを「世界一受けたい演劇の授業」と私は呼び、当日パンフレット用にレポートを書いたのだが、その価値を切実に感じていた人は、残念ながら多くなかったらしい。

「なぜ来ないかと聞くと “バイトがあるから時間がつくれない”と言うんだな。結局、自分に対して厳しくないんだと思う。ネクスト・シアターは埼玉県が運営資金を出してくれてる活動なわけで、そんな連中に公共の金を使う理由はないからね」

 

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新しい世代と断絶するのではなく、受け容れる

 

志ある者は貧乏に耐えろと言っているのでも、今どきの若者は甘いと嘆いているのでもない。

「貧しくないのはいいことだよ。便利さや文明の進歩を享受できることが間違っているはずはない。ただ、生活の中心に何を置くべきかを考えないと。バイトを中心にして、そこそこいい家に住んでて、そこそこいいものを食べたり着たりして、うまくなりたいなんて。表面的なものを全部取っ払って残った自分がどの程度の表現力を持ってるか、そのことを問う作業をしない人とは、やっぱり共同作業はできない」

こう言葉を重ねながら、激怒はしても絶望しないのがこの人だ。妥協せず、自分のやり方だけを押し付けず、次の一手を探っている。

「授業のカリキュラム、どんな戯曲を選んで公演するか、そして、どうやって彼らと関わっていったらいいか。こちらとしても、いろんなことを再考しなければいけないと思ってる。一方的に僕の世代の暑苦しい思いを伝えてもダメだってことはわかってるからね。こっちは肉を食いちぎりながら走ってるんだけど、草を食べて“おいしいおいしい”というのもわかるからさ(笑)」

そうした世代格差は、もちろん今に限ったことでも、演劇に限ったことでもない。あらゆる表現は、新しい世代が生み出す新しい文化によって少しずつ更新されていく(時には天才の出現によって数段飛ばしで)。それを知っている蜷川は、自身が創作の最前線に居続けるためにも、自分が高い位置にいる傍観者でいることを好まない。

「まだ舞台を観てないし、戯曲も読んでないけど、岸田戯曲賞を獲った『ままごと』の柴(幸男)さんのラップを採り入れた演出なんて、そういう世代だから生まれたものでしょう。俺にはつくれないし真似もできない新しい才能は確実に台頭してて、それを無視することはできないよね。両方を理解して認めることが教養だと思うし。だから断絶するのではなくて、どちらも受け容れることはできないだろうかって考えてる。ゲームや漫画も含めてビジュアル的なものがつくろうとしている世界は、いまや無視はできないよね。一方で言えば、インターネット上の情報をチョイスしていく時は“選ぶ私”に対する疑問を持たないと、“私”の小ささがそのまま世界の狭さになってしまう。そこのところは大いに言っていいんじゃないかという気はするんだよな。だから、さいたまの稽古場を使った公演を少しずつ若い演出家達に使ってもらって、実験も大いにしてもらおうかと考えてるんだ。それを俺も見たいんだよな。若い演出家が一体どうやってつくるのかを目の当たりにしたい。そうすれば、俺がちょっと勉強できるかなって。うん、まだまだ負けたくないからさ(笑)」

 

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