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美術館のスイッチでは、昼と夜の違いが非常に印象的だった。昼の回は、『スイッチ』のもつ「フラッシュ・モブ」的な要素がはっきりと機能していた。スイッチによって発動した仕掛けを、そこに居合わせた人が“たまたま観る”という構造だ。
それに対して夜の回はどうだったか。そこに居合わせたのは、当日の「六本木アートナイトスイッチ」の反響を聞いて集まってきた人達が殆どだったように思う。そのためだろうか、スイッチを押した人と演者をオーディエンスが“取り囲んで観る”という、「劇場構造」が立ち上がっていた。
お客さん普通に爆笑してる。国立新美術館の前でこんなに大声で笑えること、なかなかない。(でも、夜中はお静かに) #スイッチ総研 #六本木アートナイト pic.twitter.com/nLr3jU0lYX
— スイッチ総研 (@switch_souken) April 25, 2015
そのスイッチがどんな“演目”かを承知の上で「今度はどんな演技をするだろう」と期待し、役者も様々なパターンで期待に応える。ひときわ盛り上がっていたスイッチでは、演者である深井順子さん(FUKAI PRODUCE羽衣主宰)の「フェルメールうう!」というキメ台詞(毎回微妙にニュアンスや間が違う)が、幾度もオーディエンスの爆笑を呼んでいた。
この状況は、六本木ヒルズで行われた深夜のスイッチでも起こっていたように思う。スイッチを押す人と、周りで観る人が固定化するに従い、その場に濃密な「劇場空間」が立ち上がってくる。すごく小劇場的な雰囲気だ。
『スイッチ』のコンセプトは、「お客さんと演者との間に、その場限りの“舞台と客席”を立ち上げる」こと。その“1対1の関係性”の外側にあるものが、「たまたま居た人」なのか、「オーディエンスとして観ている人」なのかによって、場の雰囲気は大きく異なっていた。前者は「街に演劇(アート)をインストールすること」で、後者は「街に劇場(シアター)をインストールすること」とも言えるだろうか。
公募プレゼンの際、スイッチ総研は「これはオール人力でインタラクティブな、新しいメディアアートなんです」と説明していた。今回の六本木アートナイトは、テクノロジーを駆使したプログラムを大々的に取り上げていたこともあり、自ずとその対比がはっきりと見えた。
最先端かつド派手なメディアアートが集積し、近未来感でいっぱいの六本木ヒルズ内。そんな中で、ティッシュをめくってゴミ箱に捨てると、近くの人が「シュ、シュ、クルクル、ポイ」とつぶやく、というスイッチが展開されている。(画像:大スクリーンに投影されたオンラインゲーム)
この対比を元に、『スイッチ』の楽しさを「身体性への回帰」と分析したり、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を想起する人もいるかもしれない。それとは逆に、スイッチを押さないと始まらないという面から、むしろWEBサイトやアプリとの近似性を論じる人もいるかもしれない。「俳句」や「落語」「狂言」とも共通項がありそうだ。街にインストールされたパフォーマンスという面からは、「江戸の売り子」や「獅子舞」に例え得るかもしれない。
このように、『スイッチ』はいかようにも捉えられる、不思議な懐の深さがあるように思う。しかしながら、これは「演劇界が発明した、パフォーミングアートの新しいインターフェース」だと、(期待感をもって)言い切りたい。
なにより今回の「六本木アートナイトスイッチ」では、老若男女が本当に気軽に参加し、楽しそうに、とても幸せそうに見えた。その秘訣は、各スイッチの根底にあるものが「現代に生きる私たちの、カルチャー全般のバックグラウンド(※)と密に繋がってる」ことではないだろうか。しかも“押しつけがましくなく”!このような、同時代的なインターフェースの発見が、スイッチ総研の発明なのだと感じている。
※テレビ、マンガ、映画、ネット、日々の生活、etc.
公募プレゼンの際、大石さんは「海外も視野に入れて、様々な場所で研究、開発していくつもりです」とコメントしていた。今回の実績を見ると、その見通しは明るいと思う。「“賑やかしに寄与するアートコンテンツ”の一つとして、便利に消費されてしまうのではないか」という懸念を寄せる人もいるかもしれない。しかしながら、そんなことは軽々と越えていくような、今後の躍進を期待したい。「大人げないことを、大人のやりかたで」のモットーそのままに。
(記事中の一部の画像と全ての動画は、「スイッチ総研」より許可を得て、会期中にツイートされたものを引用しています)
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