制作ニュース
- 最終回「解散」 ゲスト:小池博史(パパ・タラフマラ主宰/在籍期間:1982年~2012年) 聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~2012年)
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12.05/05
根幹を変えていくのは、2割の作品力と8割の制作力(小池)
山内:先ほど「システムづくりは制作者がやるべき」とおっしゃいましたが、これからの制作者のみなさんに期待することはどんなことですか?
小池:結局根幹を変えていくのは作品とともに制作力なんだな。で、しかも、割合で言うと、作品力なんて所詮2割ぐらいで、8割が制作力だと思う。それは世に出ていくとか、客を呼ぶとか、あるいはいい批評を書かせるとか、そういうことも含めてね。まあ、健全ではない。だけど、きちんと作品を観る力を持っている人が少ないという現状を考えるとしょうがない。観客も鑑賞眼は弱っている。批評家は現状追認という批評家にあるまじき人が本当に多い。批評家は、演劇ならば脚本分析だし、舞踊だったらテクニックを元にした印象でしか結局書けないわけですよ。だからこそ、制作力が大事なんです。本来、それはとても悲観的なことかもしれないけど、現実はそう。
山内:そしたら、制作者が作品を観る目を身につけて、本当にいいものを世に出していければ、いろいろ変わってくるということですね?どうすればそれを養うことができるのでしょうか?
小池:まずは多様なものを観るっていうことですね。
山内:たくさん観る?
小池:数も必要だけど、数だけじゃない。日本人は、日本のものしか観ていないし、海外から来たものはただありがたがってるだけでしょ?例えばピナ・バウシュっていう人を評価するのはもちろん全然かまわないけど、それと同じ視点で日本のものも観られるかということなんです。「なんで自分たちでもこういうものができないのか?」って考えられるならいいんだけど、「あ、ピナいいね」って言って終わってしまってはいけない。それは劇場も役人も、一般観客もメディアも、みんなそう。向こうのものをありがたがり、日本のものは日本の中での比較でしかない。それを世界基準にしたらどうなるかっていう発想を持たない限りはあんまり変わらない。
山内:確かに・・。でも例えば身近でやっている演劇は日本語だし、じゃあこれを海外に持っていったらどうなるのか、とかは考えにくいかもしれません。
小池:いや、そんなことをは考えなくていいんだよ。たとえば、音楽でもなんでもそうなんだけど、「圧倒的な感動」っていうものがあるじゃない?僕の場合はそれが基準になるんだよね。例えば、中学1年の時にフルトヴェングラー*6の「未完成」を聴いたときに、それまで「クラシックなんてつまんねぇ」と思ってたのに、「なんだこれ!?」って、なんかもう震えるような感じがしてね。中3の時にはガウディ*7の写真集を見てぶっ飛んだんだよね。もう夢にまで出てきちゃうわけだよ、あの建築が。それからマイルス*8の30センチLPのレコードを聴いてびっくりしたりとか、そういうことが自分の中の基準になっていくのね。
山内:きっと小池さんは、小さいころから感動する体験をたくさんしてきたんでしょうね。確かに、圧倒的な感動に出会えたら、たぶんそこからがスタートで開眼すると思うんですけど、今みたいに情報が溢れていて、なんでも簡単に手に入ってしまうと、情報で塞がれてしまって圧倒的な感動に辿りつけてない人が、現代はいっぱいいると思うんです。
小池:だから、子どものころから、1年のうちの1ヵ月ぐらいは、ボランティア活動させるとか、中国とかインドネシアのちょっと混沌としたところに送るとかして、本当に多様な文化に触れさせたほうがいいと思うよ。そうすると否応なく感じるから。
山内:そうですね、確かに小さいころの多様な体験というのは大事ですね。
小池:でもまあ、あんまり危険地帯はまずいけどね。