制作ニュース

『地域のシテン』第3回 多田淳之介・服部悦子×植村純子

14.02/28

制作手帖×ON-PAM地域協働委員会
リレーインタビュー『地域のシテン』第3回
ゲスト:多田淳之介(東京デスロック主宰・キラリふじみ芸術監督)/服部悦子(東京デスロック制作)
聞き手:植村純子(劇団衛星プロデューサー・NPO法人フリンジシアタープロジェクト事務局・KAIKA制作/ON-PAM地域協働委員会会員)

制作手帖とON-PAM地域協働委員会がコラボレーションして不定期でお贈りするインタビューシリーズ『地域のシテン』。全国各地域で活動する舞台制作者が自ら聞き手となり、注目すべき「地域のキーパーソン」のシテン(視点、支点、始点)に迫ります。

「東京」を劇団名に冠しながら、2009年に「東京公演休止」を宣言して話題を呼んだ劇団「東京デスロック」。その後は、埼玉県富士見市の公共ホール「キラリ☆ふじみ」を拠点としながら、「地域密着、拠点日本」を掲げてその活動範囲を日本各地、さらには海外へと拡大させている。彼らが「地域」に拘り続ける理由はいったい何なのか?――自らも京都を拠点に全国区の活動を繰り広げている劇団「衛星」プロデューサー・植村純子さんが、主宰の多田淳之介さんと制作の服部悦子さんに話を訊きました。


国内でも、外国と同じくらい切り離して考えたほうが楽

多田淳之介さん左から植村純子さん、多田さん、服部悦子さん

――まずは、最近の活動のことからお聞きできればと思います。相変わらず、「多田くんは今どこにいるのかしら?」という感じで各地を飛び回っている印象なのですが。
多田:そうですね、自分自身も今どこにいるのかわからなくなる(笑)。といっても、毎年定期的に通っているところはだいたい決まっていて、それにプラスして細々とした仕事がいろいろな地域から入ってくる感じです。劇場との仕事が多くて、公共劇場から依頼されるワークショップや市民劇、それと「東京デスロック」のツアー、だいたいその2つですね。
――劇団のツアーと、それ以外の仕事で訪れる場合で何か違いはありますか?
多田:やっぱりツアーで行くと公演だけで終わりになってしまいやすいんですけど、劇場と仕事をすると、彼らはその地域のことを深く考えて活動していて、劇場の活動に参加している地域のアーティストとも知り合える。アウトリーチで行くとそれがあるのがおもしろいな、と。「この町はこんな活動しているんですよ」とか、いろいろ教えてもらえるし。そのうえで町を歩いたりすると楽しいですね。
――今は、九州に行ってるんですよね…?
多田:はい。一番通っているのは長崎ですね。2年がかりで市民劇を創っているんです。長崎市は5年に一回、大型の市民劇をやっていて、その間はまあ小型や中型の市民参加の企画をやっているんですが、今年は15周年ということで大掛かりな企画になっています。1年目に戯曲講座をやって、2年目の今年、いよいよ本格的に製作している状況です。それがまあ、自分で考えておいてあれなんですけど、本当に大掛かりなことになっていて(笑)。
――というと・・?
多田:実は長崎市って、特にこの10年位の間に近隣の市町村が編入されてどんどんどんどん大きくなっているんですよ。長崎っていうと、いわゆる「ザ・長崎」のような中心街・・・路面電車が走っていて、平和公園があって、中華街があって、ちゃんぽんがあって・・・というイメージがある。でもそうじゃない、新しく長崎市になった町があって、そこをどう考えるのか、みたいなことをやりたいなっていう話になって。北部と南部と東部、そして市の中心街である海岸沿いの西部。それら4地区でワークショップや作品創りをやっていて、1月の本番に向けて各地区で創った作品を一つにまとめるってことをやってるんですけど・・・。4地区あるので、少なくとも4日行かなきゃならない(笑)。
――ああ、そうか・・(笑)。
多田:アーティストが4人いて、分担できればよかったんですけど。
――全部お一人でやってるんですね?
多田:長崎で活動している劇団「F’s Company」主宰の福田修志さんと2人で手分けしてやってます。この1ヶ月は木金土日に長崎でワークショップをやって、月曜に関東に帰ってきて、火水は家にいて、また木曜から長崎へ。・・という生活をぐるぐる繰り返してます。
――それは、大変・・(笑)。
多田:その合間に他の仕事も入ってくると、長崎から香川に移動して大学で授業をしたり、まさに旅から旅へという状態です。1月は本番があるので長崎へ行きっぱなしになるけど、それが終わるとすぐに横浜(2/14~2/16『RE/PLAY (DANCE Edit.)』@急な坂スタジオ)があって、翌週に高松の劇場でリーディング作って、3月には富士見で創ってる市民劇の中間発表があって、それでやっと今年度が終わる、と(笑)。
――(笑)
多田: もはや「市民劇職人」みたいになってきてる(笑)。だいたい毎年どこかで大掛かりなプロジェクトをやらせてもらっていて、この間までは北九州、そして今年は長崎で。今後も2年先くらいまでは決まってます。まあ、楽しいですし、可能性がありますよ、市民劇は。
――これまでのそういった活動を通して今、感じてることは何ですか?
多田:何でしょうね・・?寂しいなって最近感じるかな(笑)。
――えー、どういうことですか?
多田:一人で行って一人で仕事してるから。同じ体験をしている人がいない。劇団のツアーだとメンバーと一緒に飯も食えるし、いいんですけど、一人だとその・・なかなかねえ。でもちょっとずつ、たとえばそう、植村さんは京都が拠点だけど、ほかの色々な地域の話も一緒にできるじゃないですか。そういう人って僕の周りではまだ貴重で、全国にそういう人がもっと増えてくれると、僕も寂しくないな、と。
――(笑)増やしていきたいですね。
多田:これからだなという気もしているんです。確実におもしろくなってきてはいますし。僕もまだまだ知らないことが多いし、関東に住んでるからって特別に情報が入ってくるわけじゃないですから。高知に、「蛸蔵」っていう、蔵を改造した劇場があるんです。いくつかの地元劇団が共同で経営・運営していて、地域のアートスポットになっている。高知には「かるぽーと」という公共劇場もあるんですが、その職員も「蛸蔵」の運営に携わっていたりして。あそこは本当に劇場と地域のアーティストの信頼関係があって、すごくいい活動をしてるなって感動した・・んだけど、実際に高知に行くまでは全然知らなかった。
――なるほど。
多田:以前はほかの地域に行くといえば、作品を持って行くことぐらいしかなくて、地域の劇場の仕事で行くようになってからは、その地域とこれまでとは全く違う関わり方ができるようになったし、そうじゃないと知れなかった事もあると思う。うちのパターンとしては、僕が先に個人的に仕事をした劇場に、後でデスロックで行く、みたいなことが多くて、まあ、いきなり行くよりいい。
――そうですね。少しでも前知識があるというのはとても貴重。
多田:そういう前段階があって、「こういう人がやっている劇場や劇団ならば是非」って感じでつき合っていった方が断然いい。
――同感です。
多田:でもまあ、最近、どこに行っても外国だなという感じがしますね。言葉は同じだけど、環境も人口も違うし。韓国で仕事することが多いので、韓国でやってる時とほかの地域でやってる時と何が違うんだろうなと、ふと考えます。もちろん、言葉とか環境の違いはあるんですけど、なんか日本国内であっても外国と同じくらい切り離して考えたほうが楽だなって。その方がわかりやすいし、つき合い方としても健全なんじゃないかなって気がしていて。文脈はどこでも違うっていう前提、国や地域どころか人間は皆違うわけで、その方が逆につまらない境界線も感じないし、作品を観る場合もきっといいだろうな。
――うんうん。
多田:国内だとやっぱり東京の人や都市部の人の中には、田舎をちょっとバカにする人もいるわけで、「遅れてる」とか「まだこんなことやってるの」みたいな。それが国外に行けば、「遅れてる」なんて思うよりも「この中でおもしろいものは何だろう」という気持ちになりやすいですよね。自分の文脈の外だっていうのがわかりやすいから。でもそれは国内でも同じだと思ってます、文脈がそれぞれ違う、でもね、全部演劇なんですよ。本当ここ一ヶ月ぐらいあちこち行き過ぎたんで、余計に思いますね。

ツアーの基本は、「出会って、話す」こと

服部さんアジア公演芸術祭参加
『LOVE Korea ver.』
2009.1 韓国光州文化芸術会館)

――服部さんはどうですか?そういった活動を横から観ていたり支えていたりしていて。
服部:そうですね。私が東京デスロックに入ったのが2007年の終わりなんですが、2008年から「キラリふじみ」のレジデントカンパニーになったので、東京で定期的に公演を打って活動していくという経験を私自身はしていないんですね。
――ああ、そうか。
服部:だからむしろ、ツアーをする、いろいろなところに行くということが普通になってます。その点は、ほかの東京で活動する劇団の制作さんとは違うんだろうなという認識はあるんですけど、そういう中で活動していると、その地域の人とワークショップをやったり、そこで活動している劇団と別バージョンの作品を作ったり、「そこで一緒に何ができるかを考える」ということが、公演のスタートや土台になっていますね。作品を観てもらうことだけが公演じゃないというか。別の地域に行くこと、他者と出会うことが公演とセットになっているので、「東京復帰」して、再び東京公演をすることになった時も、「東京という地域で」という感覚が強かったですね。ツアーと同じ感じで取り組んでいた印象があります。
多田:ホーム感なし、みたいな(笑)。
服部:もうどこがホームなのかわからないですね。作品も「東京とは?」みたいな内容だったので、ほかのところへ行くのとあまり変わらない感覚でした。
多田:だからまあ、「拠点日本」なんだけど。そうなってくると、自分たちのホームは、一番回数やってるところになるのか?
服部:そうなると、韓国でも毎年やってますしねえ。
多田:東京よりはるかに韓国や九州の方が多い。あとさすがに埼玉。
服部:「東京復帰」はしましたけど、それから一年間東京で公演やっていないんですよ。最近はもう、あまりどこということにこだわらなくなってますね。
――それじゃあ、「こういう活動をしてるからこそ、ここが大変だった」というようなこともないですかね?
多田:大変さねえ・・。(服部さんに)何か大変ですか?
服部:そうですねぇ・・。制作的な苦労は、きっとほかの劇団さんと同じで、多々ありますけど。デスロックだから大変ってことは・・そんなにないのかな?
多田:どうなのかな?大変なのかな?改めて聞かれると・・。
服部:この状況が当たり前になってるから・・。あ、初めての韓国公演は、結構大変でしたね。
多田:確かに大変だった。乗り打ちだし、出演者の一人が本番数時間前にしか来れないという厳しいスケジュールで。さらにゲネを観たフェスティバルの芸術監督が、「わかりにくいからお客さんにちょっと説明をしてから始めた方がいいんじゃないか」とか言ってきて、「嫌です」みたいなやりとりがあったり。こっちもこっちで時間がない中でつくっているのでそれどころじゃないんだけど。
服部:結局その公演はすごくよかったんですよ。特に事前に説明はしなかったんですけど、お客さんに「いいですよね」と何度も話しかけるシーンで言葉はわからないはずなのに会場のお客さんが一緒に「いいですよね」と言ってくれたりして。「説明なんてしなくてよかった」って思いましたね。
多田:この公演をやった光州という街は、今度新しい劇場ができるところなんですけど、当時はまだ演劇フェスティバルをやるのも初めてみたいな頃で、結構みんなビビってた。芸術監督も「田舎だから、あんまりハードな、前衛的な作品は受け入れられないんじゃないか」という考えだった。・・まあ、そういうのと僕らはずっと戦い続けてきたんですけどね。終わってみれば、ロビーで子どもたちが台詞を言いながら走り回ってた(笑)。
――(笑)
多田:ま、そういうのが大変といえば大変。その地域の受け入れ態勢と、それによって作品がどのようになっていくのかがなかなか掴めない。海外だから、事前の打合せも行けなかったし。
服部:海外公演自体が初めての経験だったから。そういうのはありましたね。
多田:この時の作品は2007年に創った『LOVE』の再演だったんですけど、国内ツアーの前に韓国公演がありました。
――先に韓国だったんですね?
服部:そうなんです。
多田:このツアーではかなりいろいろなところに行けたし、それぞれの劇場に合わせて作品を変え続けるということをしたので、僕も俳優もスタッフも相当スキルが上がった。常に「現地に行ってから考える」というスタンスだったから。
服部:今でも劇場を決める時や担当の方と話す時は、小屋入り期間をできるだけ長くしたいという相談はしますね。
多田:現地に行ってから舞台の大きさを決めて、客席との距離を決めて・・。
服部:贅沢に劇場を使わせてもらうことが多いです。一週間借りて、土日だけ公演する、という感じで。そういう無理を聞いてもらうことが多いですね。なるべく劇場さんと一緒に創らせてもらいたいってお願いをします。
多田:パッケージングされた作品を持っていって上演するんじゃなくて、劇場と組んで作品を創っていく方がいい。
服部:そうですね。先にワークショップをしたりとか、多田が一人で行った時に、作品のことや創り方もわかってもらって、それからやることになる、という形が多いです。
多田:あと、劇場が主催者の持ち小屋や公共ホールだったりするので、小屋代がかからない。これもとても大きい。かからない、という言い方はちょっと違うけど、いわゆる「貸し小屋」ではないということ。貸し小屋だとね、お金もかかるし。もっと一緒に創りたい。
服部:できるだけそういう劇場と組むようにしていますね。現地で創るというのが基本にはなっています。
多田:こういう活動はやっぱ楽しいからやってて、でも、あんまり周りでこういう活動してる人は少なくて、みんな好きじゃないのかな、やったらいいのに。「ツアーしたいんですけど、どうやってツアー組んでるんですか?」って聞かれることもありますが、「会って、友達になって、行くだけ。」なんですよ。「行きたい」というこちらの思いと、「来てほしい」という劇場の思いが全て。でもその為にはまず自分が行くことが重要だとは思います。僕も劇場の人間ですから、来てくれるってスゴい嬉しいんですよ。
――まず、最初に知り合う・・。
服部:そうですね。
多田:出会って、話す。昔みたいに東京で人気が出たら自然と大阪でも公演ができる、みたいな時代じゃないので。どこでも行けるわけじゃないけど、逆に色んな地域に行きやすくなってきてるとは思います。

“場所の人”は動けない。“動ける人”がそこをつなぐっていうのが大事

『가모메 カルメギ』
2013.10 DoosanArtCenter Space111 (C)DoosanArtCenter)

――これからの展望について聞かせてもらえますか?
多田:展望ねえ・・。来年度は、ツアー・・というか3ヶ所に公演へ行く。これも、初めて公演をする劇場との付き合いがあるんですけど。あとはまあ、韓国で今年つくった『かもめ(『가모메 カルメギ』)』を日本で上演することを目論んでいて、実現すればといいなあと。その先はね・・「キラリふじみ」の芸術監督の二期目の任期があと2年で、そのあと三期目に入るのか、二期で終わるのか、にもよりますね。
――ああそうか。
多田:劇団員もみんないい年になってきてるからね。その頃にちょうど40歳ぐらい。さあ、どうする?っていう・・。何か考えるタイミングになるかな。この2年間は継続してきたことは続けて、思いついたことはその都度やって、になるような気がする。その先は・・自分がどこにいるのかも想像できない。
――(笑)
多田:まあでも、韓国との仕事は続くだろうし、国内の地域とも継続的にやっていきたいと思っているんで。でも本当、この数年でかなり色々な人が行き交うようになって、明らかな変化が起きていると思います。自分の傾向として、「ここはうまくいったね、じゃあ、と去っていく」みたいなところがあって。初めから去る気がある訳じゃないんですけど、自分が居なくならないと意味ないし、「じゃあ次、何もないとこはどこかな」って。次々にそういうところに行きたいなって思っていて。まぁ初めてのところへ行く度に「また一からやるのか・・」って思いはしますが。
一同:(笑)
多田:でもやっぱり、“場所の人”ってあまり動けないから。動ける人は限られている。僕らは動けるから。動ける人がそこをつなぐっていうのが大事だな、と。僕らが一回行ったところにほかの劇団が来るとか。制作者同士がつながるとか。そういうつながりをつくれるといいだろうな、と。これは継続してやりたいと思います。僕らも今たまたまこの環境で、僕らにしかできない訳でもないんだけど、せっかくできる環境にあるならやらないと。でも一人でできることも限界あるから、みんなでいろいろなところに行って情報交換をしてつなげていくっていう、その一角を担いたい。その一員でいたいです。
服部:私たちが2009年に東京公演をやめて地域で公演を創り始めた時と、ここ4~5年で環境が大きく変わってきたなと感じています。地域で公演されるアーティストもワークショップ事業も増えています。
多田:がんばってる劇場はちゃんとがんばってるんですけど、やっぱ数が少ない。そこはまだまだ日本の問題ですね。ちゃんとしてないところはいっぱいあるんですけどね。
――そうですね。
多田:それはもう本当、行政がからんでくるので限界があるなとは思っていて。今の日本の行政がからんでくる以上、やっぱり僕らの理想としているようなことを叶えるのはなかなか難しい。でも今より良くすることはまだまだできると思ってて、なので、やれることをやって、だけど、結局もうこれ以上は行政がダメで・・まで行き着いてからかなと。やる前から行政の悪口を言っていても仕方ないし。まあ、とにかく劇場ですよ。劇場はこれからも建ち続けますから。
――まだできていくんですねぇ。
多田:これから1〜2年でもけっこう建ちますね。我々の知らないところでも建つだろうし。僕らに届く情報は「いい劇場」っていうか「がんばってる劇場」に限られるけど・・。今ちょうど開館から10年目くらいの劇場に行くことが多くて、「何でこんな設計にしちゃったんですか?」というような劇場も結構ある。劇場側も業者も劇場の使い方知らないで建てちゃったみたいな。
服部:確かに。
多田:まあでも、ハード面はどうしようもない。「キラリ」もハードはけっこうダメですから。重要なのは中身。人材不足とも言われているけど、人材はいるんですよ。だけどその人たちが活躍できる環境が全国的に整うのはまだ先かなと思っていて。一人だけ孤立しちゃうとか、周りが全然やる気ないとか、そういう話もよく聞きます。でも今はやれる劇場はどんどんやる、少しでも良くなるところは良くしていく、しかないですね。まだ良くはなりますから。

「初めての人には前衛的なことはわからない」というようなところとは戦い続ける

富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ『ステージきっず』2011年
富士見市民文化会館キラリふじみ
撮影:吉岡茂

多田:東京の弱点は、地域を意識して活動する機会が少ないっていうこと。ほかの地域なら、当たり前のようにその地域を意識して活動をするわけです。僕らの強みは富士見市に来たことだと思う。「富士見」という地域を見据えて活動をしてきたから、ほかのどの地域に行ってもできるというか、場所は変わっても、お互いに同じことを考えている。そこは、やっぱり結果的にすごくよかった。東京で小屋借りて作品を創っていても、地域のことなんて一秒も考えないから。特に「富士見」という地域が担える役割というのもあると思うんですよ。東京からこれだけ近くて、東京では見られない地域の活動が見られるっていう。子どももお年寄りも観に来て、やんややんや言って帰るというような。ここへ来た時の使命感というか、やらなきゃいけないだろうなと思ったことのひとつがそれでした。東京の観客たちにも、地域における劇場、芸術の価値を知ってもらう。東京の観客が変わってくれるとやっぱり波及力がありますから。
服部: 2008年にキラリふじみのレジデントカンパニーになった時に、ほかに「田上パル」と「モモンガ・コンプレックス」も一緒だったんですけど、劇場にとっても初めての試みだったこともあって、毎月毎月劇場の方と3カンパニー全員が集まってとにかくミーティングを重ねたんです。「富士見」で、ここで活動していくにはどうしたらいいかという話を延々としていた時期があった。それが今の活動につながっているのかなという気もしますね。
多田:あとはね、僕が言うのもなんだけど、芸術監督も色んな人にやってほしい・・・。
――(笑)
多田:まぁ芸術監督の経験ってなかなか出来ないですから。以前夏休みに子どもたちと創作するプログラムをやっていて、それには、地域の経験をしてほしいなと思うアーティストに声をかけて参加してもらっていたんですけど、ものすごく刺激になったみたいです。東京に対してそういう機会が作れる場所にもなるといいんだけど。地域や劇場ごとにミッションは違いますから、例えばこれが川越だったら、ちょっと遠過ぎる。さらに東京と切り離した活動をした方が良い。川越は(富士見より)もっと人口も多いし。富士見市は10万人しかいなくて、そのうちの5万人は昼間東京に行っている。市内のことだけじゃなくて、東京とどういう距離を持つのか、ということも大切なんです。
服部:そうですね。
多田:でも最初に「キラリ」に来て、「東京公演をやめる」って言ったら、みんなきょとんとしていた。
一同:(笑)
多田:「何言ってるんだお前?」みたいな。「誰が行くんだあんなとこまで」(笑)。
まあでも、「お客さんが減ったら減ったでいいよね」というつもりでやってみて、実際半分ぐらい減ったけど、富士見の観客に観せている方が健全だな、好きだなって思った。レジデントカンパニーになる前から付き合いはあって、ここで活動できたら良いだろうなと思ってたので。東京時代も「地域」を意識して活動しようとは考えていたんです。東京のお客さんとどうつきあっていくのかって。その結果、「東京公演をやめる」ってことになった(笑)。成功だったのか失敗だったのかわからないですけど。よかったと思ってます。そんなにネガティブな意味でやめた訳じゃない。・・でも、その時の東京は今と全然違ったし。まあ、震災以降相当変わった。
服部:まあ、そうですね。
多田:東京公演についても「復帰してますよ」というスタンスでは一応あるんです。でもまあ、4年に一回くらいがちょうどいいんじゃないかとか(笑)。オリンピック的な。
一同:(笑)
多田:おもしろいかもね。4年に一回って決めちゃうって・・。1年くらいだと横浜ぐらいの距離でやっても来年東京でやる時にってなりそうだけど、4年だと観たきゃ来るしかないし、諦めもつくし、3年目には来年の予習のために観とこうとかあるかも。作戦としてはいいかも(笑)。
服部:そうですね。横浜では何かとやる機会が多いですよね。
多田:東京でやってなくても横浜と富士見では公演してるからね。でも少し電車に乗るくらいの距離の方が、みんな気合い入れて観に来てくれるんですよね。
服部:そうですね。
多田:家が近い人は喜んでくれるし、遠くから来る人は気合いを入れて観に来てくれる。こんないいことはない。
――地元の人は、どういうキッカケで観に来ることが多いですか?
多田:やっぱり、一番多いのは人間関係ですね。市民参加の劇に友達が出ているからとか、子どもが出ているからとか。やっぱ、新規開拓は難しい。もっと田舎になればさらに人のつながりも強いんだろうけど、富士見はそこまででもないんで。開館から関わっているおじいちゃんが知り合いを誘って来てくれたり、ワークショップに参加した子供が来てくれたりしますけど、駅前のマンションに住んでいる人とか全然そんなのないですから。でも最近ちょっとずつ、「市の広報誌を見て来た」っていう人も増えてきていますね。まずは来てくれる人達にとっていい劇場であることですかね。
服部:そうですね。
多田:そういう人が増えるに越したことはないんですけど。まあでも、結果として観るのが僕の作品だったりもしますから。「演劇ってこんなのもあるんだー」みたいなことばっかりやってますから。東京でやってた時も、「演劇ってこんなこともできるんだ」ってことを夢中で考えてて、だからこういう場所で活動することに結果的に向いていたんだと思います。初めて来るお客さんに、特に若い人には刺激になるものを観せたい。「初めての人には前衛的なことはわからない」というようなところとは戦い続けますね。
――おお!
多田:決してそんなことはないですから。そういうこと言う人って、ただの憶測で言っているだけなので。実際、そんなこと言われたことは一回もないですし。作品の映像を見て「こんなの普通のお客さんにわかるんですか?」って言れることはあるけど、「わかるとかわからないじゃなくて、とりあえず僕らはこれで活動できてます」って言い切れます。道のりは険しいですけど。
服部:確かに。あえてさっきの話に戻って苦労することを挙げるなら、そこですかね。劇場さんと作品を決める時、「これで大丈夫ですか?」って何度も聞かれるってことは、確かにあります。
多田:(笑)
――そういう時、服部さんはどう答えるんですか?
服部:「大丈夫ですよ」って答えます(笑)。ただ、不安に感じる気持ちもわからなくもないので、これまでの活動や経験、実績を説明して「だから、大丈夫ですよ」というお話をするのは、その地域や担当者に応じて必要だと思います。
多田:富士見でこんだけ活動してますから。富士見の子どもは普通にきゃっきゃ言いながら観てますしね。「わかるか?わからないか?」という日本人の芸術コンプレックスを何とかしたい、「わからないものとの出会いに価値がある」っていう。
――うんうん・・。
多田:公共施設こそ、そういう仕事をやるべき。「わからないって大事なんです」って。「わかる、わからないじゃなくて、自分がどう思うかです」って。まぁ大変ですけどね、日本でこれやるのは。でもやんないと、日本。

(2013年12月19日キラリ☆ふじみにて)


■多田淳之介(ただじゅんのすけ)
演出家、東京デスロック主宰、富士見市民文化会館キラリふじみ芸術監督。四国学院大学非常勤講師。俳優の身体、観客、時間を含めた、劇場空間での現象を作品化する演出が特徴。古典から現代劇、パフォーマンス作品まで幅広く手がける。地域、教育機関でのアウトリーチ活動も積極的に行い、韓国、フランスでの公演、共同製作など国内外問わず活動。2013年には韓国を代表する演劇賞である東亜演劇賞の作品賞、演出賞を外国人演出家として初受賞。

■服部悦子(はっとりえつこ)
2007年10月より東京デスロックに参加し、以降全ての公演の制作を担当する。2008年から青年団・こまばアゴラ劇場の制作部に所属。地域で活動する他劇団との合同公演や、国際共同企画・国際演劇祭などを手がけている。

■植村純子(うえむらじゅんこ)
京都生まれ、京都育ち。「劇団衛星」制作。1995年旗揚げより、ほぼ全ての公演に参加。同時に、「NPO法人フリンジシアタープロジェクト」に所属し、様々な演劇・ダンス公演の制作活動と、ワークショップの活動に参加。2010年より「アートコミュニティスペースKAIKA」の運営に携わる。劇団の公演・NPOでの企画ともに全国各地での開催を手がける。「日常の近くに舞台芸術がある環境」を求めて、活動中。


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