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第5回「海外アーティストとのコラボレーション」 ゲスト:楢崎由佳 (現・ELMO USA CORP. マーケティング・コーディネーター/在籍期間:2000年~2006年) 聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~

12.04/05

国の指針に合わせた海外戦略

山内:海外向けの営業資料はどんなものを用意されてましたか?

楢崎:やっぱり映像は不可欠ですよね。佐々木成明*6さんにご協力いただき、オムニバスのDVDを作りました。あとは写真と、作品紹介、ツアー人数、それから販売価格。

山内:販売価格?「この作品はいくらです」っていうのを明記する?

楢崎:そうですね。公演数が増えるにつれて1ステージ当たりの価格がだんだん下がっていくんです。

山内:ああ、なるほど。そういうひな形を作られたのも楢崎さんの時代なんですよね。今でも事務所にはその頃の資料がきちんと整理されて残っているので、本当にいい参考資料になっています。

楢崎:吉井さんを見習っていただけですよ。しょっちゅう電話してアドバイスをいただいていましたから。

山内:そうなんですね。

楢崎:引き継ぎも何もなかったですからね。まさにOJTですよね。とにかく先に行動してみて、あとから確認する感じでしたよ。

山内:でも、海外公演と同時に国内公演もされていたんですから、すごい仕事量ですよね?

楢崎:あまりにも家に帰れないので、事務所の近くに引っ越しました。

山内:なるほど(笑)。今でも事務所には必ず寝袋が2個用意されてます。

楢崎:個人的には海外公演に専念したかったんですが、国内公演もやらないと文化庁の助成金の申請が出来ないっていう事情もありましたから。

山内:国内公演と海外公演の大きな違いは、どういうところですか?

楢崎:国にもよりますが、北米やヨーロッパなどは、観劇文化が一般の人の生活に馴染んでいるので、海外の場合は客層が幅広く、それに観劇中の反応が日本人に比べて大きいですよね。舞台ってインタラクティブな芸術だと思うので、お客さんの反応によってパフォーマーのリアクションも変わってくるし、それによって作品自体が変化し、また、それを享受する側のお客さんの感動も変わるんじゃないかなって思います。

山内:営業していく際のポイントも国内と海外では違ってきますか?

楢崎:基本的には一緒ですよね。自分たちのことを知らない相手に売り込みに行くっていう意味では、日本も海外も同じですからね。まあ、国内の方が知名度は高いかもしれないけど。

山内:でも、最近は逆転してきてる感じもあるんですよ。海外担当者が、国内よりも海外で「あ~パパタラさんね」って言われることが多くて驚いたって言ってました。

楢崎:それは、素晴らしいですね。

山内:あと、資料を見ていて感じたのは、海外営業の場合、先に金額提示をするケースが多い気がするんですがどうでしょうか?日本だと作品を見てもらってから、「じゃあいくらで」というようになるかなと。

楢崎:そうですね。その違いはあるかもしれませんね。

山内:それはやっぱり、まだ日本では舞台作品を商品として売買するという構造があまり確立されていないということなんでしょうね。
韓国ツアーを行なった『Birds on Board』(2002年)の頃から海外のアーティストとのコラボレーション作品が増えてきたように思うんですけれども、それはどういう意図だったのでしょうか?

楢崎:コラボレーションに関しては、小池さんが積極的に推進してきていたし、1996年からはほぼ毎年のように海外のアーティストとは作品作りをしていたという素地がありました。そういう意図とは別に、コラボレーションに持っていった方が助成金が得やすかった、という理由もないわけではありません。国際交流基金(ジャパン・ファンデーション)に打ち合わせに行った時に、「来年は○○交流年だから、コラボレーションを企画したらいいですよ」みたいなアドバイスをいただいたので。

山内:交流年!それがキーワードになるんですね。

楢崎:海外ツアーに関しても、年度ごとの国の指針に合わせた企画を立てていきました。『Birds~』は確か日韓交流年の時ですよね。ワールドカップがあった年ですから。

山内:なるほど。小池さんはアーティストとして、いろんな文化を混ぜ合わせつつ、オリジナリティを生みだそうという意識が強い人ですから、戦略的な企画であったとしても納得がいきます。
いろんな国の人たちでひとつの作品を作っていく場合、どのようにコミュニケーションをとっていくのでしょうか?

楢崎:ケースバイケースですけど、例えば『Birds~』の時は、韓国側のフェスティバルディレクターと小池さんが東京で会う機会があって、そこで意気投合した、ということが最初にありました。そのディレクターが現地でのオーディションをセットアップしてくださったので、その方を核にしてダンサーたちとコミュニケーションをとりました。あと、国際交流基金の方にもお世話になりましたね。ブラジルのアーティストと仕事をした時には、ブラジル在住の高橋ジョーさんというスペシャリストを紹介していただきました。

山内:つまり、相手国の窓口となる人物と接点を持って、アーティストを紹介してもらったりオーディションをしたり、という形になるんですね。アートシーンの状況が分からない国とコラボレーションするにあたって、どうやっていいアーティストと出会えるかはとても重要な問題ですもんね。逆にこちらから現地に行って創作することもあったんですか?

楢崎:何回もあります。最初は『The Sound of Future SYNC.』(2001年)をサンフランシスコで。次に『ストリート・オブ・クロコダイル』(2003年初演)のもとになった『クアラルンプールの春』(2002年)という作品を、マレーシアで作って上演しました*7。小池さんが演出家としてマレーシアへ行って、現地のパフォーマーやスタッフと製作したんです。パパタラからもダンサーが2人参加しています。以降も何本もやっていますよね。

山内:マレーシアでも現地でコーディネートしてくださる方がいたんでしょうか?

楢崎:そこでも国際交流基金の滝口さんにお世話になっていますね。また、小池さんと以前からの知り合いでもあるマリオンさんという現地のディレクターにもお世話になりました。

山内:海外アーティストとのコラボレーションといえば、結成25周年の時に上演した『HEART of GOLD~百年の孤独』(2005年)は、日本、中国、アメリカ、ブラジルなどまさに多国籍軍のような感じで挑んだ作品でしたよね。この作品はどのように実現させていったんでしょうか?ここまで多くの国の方が関わっていると、すごくお金もかかると思うんですが。


『HEART of GOLD~百年の孤独』(2005)

楢崎:その作品の前に2001年に『WD』という作品がありますが、これも巨大で、日本、中国、韓国、アメリカ、マレーシアのアーティストたちが集結しています。『HEART of GOLD~百年の孤独』は、そうですね、助成金なしではできないプロジェクトでしたから、かなり早い段階から山口(山口情報芸術センター/山口市文化振興財団)、つくば(つくば都市振興財団)、それから世田谷(世田谷パブリックシアター/せたがや文化財団)に協力要請をして、最終的にちゃんと助成金が得られるような下地を作っていきましたね。さすがに大きな作品だったので。

山内:なるほど。「キラリ☆ふじみ」(埼玉県・富士見市民文化会館)では、ワークインプログレス公演*8をされていますね。

楢崎:無料で稽古場を提供していただいたので、その成果発表という形ですね。


『HEART of GOLD~百年の孤独』チラシ

山内:稽古場問題は重要ですよね。特にこういう大きな国際プロジェクトの場合は、海外から参加しているアーティストの宿泊先の手配にも関係してきますしね。キラリ☆ふじみは、どういう条件で稽古場を提供してくれたんですか?

楢崎:最後にワークインプログレス公演をやるということが条件でしたね。「地域住民に向けて無料で公開してほしい」ということでした。確かまだ劇場自体がオープンして間もなかったんですよね。だから、劇場にとって地域の方と交流する機会を作ることや、芸術活動に対する理解を深めることは大事なポイントだったのだと思います。

山内:そういう場所を提供していただけるというのは、非常にありがたいことですよね。世田谷パブリックシアターさんには『HEART~』に限らずお世話になっていますが、それはどういう経緯で話をされたんでしょうか?

楢崎:まず、「演目」「サイズ」「アクセス」という3点から考えて、世田谷パブリックシアターさんがその頃の私たちにとってベストな劇場だったんですね。それで、ダンス担当の
楫屋(一之)さん*9と、演劇担当の松井(憲太郎)さん*10の両方に相談させていただきました。どっちにカテゴライズされるのか、いつも分からなかったので(笑)。

山内:あ、やっぱりそうなんですね(笑)。結果的にはどちらの扱いになったんでしょうか?

楢崎:どっちだったかな(笑)?ダンスだったこともありましたが、『HEART~』は演劇でした。自分たちでもどっちなのかよく分からないですよね。

山内:本当にそうですね。出来てみて初めて、「ああ、今回はとてもダンサブルだ」とか、「今回はかなり演劇寄りだね」みたいな話になります。それはいまでも変わらないですね。

楢崎:同じですね。

山内:この対談企画で最初にお話を伺った白石(章治)さんも、「タラフマラを説明する的確な言葉をなかなか持てなかった」とおっしゃってたんですが、その辺は楢崎さんも苦労されましたか?

楢崎:そうですね、一言で説明しようとすると、とても難しかったですね。ジャンルにしても、日本人に理解してもらう言葉はなかなか見つからない。海外だと簡単なんだけど。

山内:あ、そうなんですか!?

楢崎:特にヨーロッパでは「ダンスシアター」という言葉でなんとなくイメージしてもらえるので、あまり問題がなかったですね。

山内:そうなんですね。

楢崎:今は何て言っているんですか?

山内:今は、…何て言っているかな(笑)?私が入団した頃は、「パフォーミングアーツカンパニー」が主流だったんですけど、最近は「劇団」とか、「ダンスカンパニー」とか、相手に合わせて言い換えてますね。実は1年に1回ぐらいの割合で「呼び方をどうするか?」をみんなで本気で考える会が開催されてきたんですが、結局定まらないまま解散になってしまいました。

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