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柿喰う客 女体シェイクスピア001「悩殺ハムレット」制作・斎藤努(有限会社ゴーチ・ブラザーズ)

12.04/01

今夏にはパルコ劇場進出も控え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの演出家・中屋敷法仁。彼が率いる劇団「柿喰う客」が昨秋スタートさせたのが、「女優オンリー」×「シェイクスピア」という異色企画“女体シェイクスピアシリーズ”だ。第1弾『悩殺ハムレット』でいきなり4都市を廻るツアーを決行して話題をさらったプロジェクトを、制作を担当したゴーチ・ブラザーズ・斎藤努が総括する。

男優社会の演劇シーンに一石を投じる企画、“女体シェイクスピア”

――『悩殺ハムレット』は、「女体シェイクスピア001」と称していて、始めからシリーズ化を標榜していましたが、もともとはどんな経緯で企画されたんでしょうか?

2011年9月が初日ですが、企画としてはさらにその1年半くらい前、『露出狂』(2010年5月)*1の時ぐらいから話はでていました。もともと中屋敷(法仁)が高校演劇の時に『贋作マクベス』というシェイクスピア作品で最優秀創作脚本賞を獲ったキャリアがあったので、僕としてはどこかのタイミングで、きちんと中屋敷とシェイクスピア作品とを向き合わせたいと思っていたんです。

――つまり斎藤さんの方から企画が上がった?

いや、中屋敷からも、「いつかシェイクスピアをやりたい」という話はあったんです。で、「ちょうどこの時期にトラムが使えそう」っていう話をしたところ、「じゃあそこでシェイクスピアをやりましょう」ってことになった。ちょうど『露出狂』が終わった頃だったこともあって中屋敷から「出来れば、女性だけで『ハムレット』をやりたいんですよ」っていう話が出て。そこから、お互いに企画を練っていきました。でもまあ、「女体シェイクスピア」っていうネーミングもそうだし、女優だけでやりたいということも、基本的には中屋敷のアイデアですね。それには中屋敷自身に強いこだわりがあったんです。というのは、日本の演劇シーンを見ていくと基本的には男優社会だと思うんです。演劇史から考えても女優という職業が出来てからまだほんの100年ぐらいですし。日本の伝統芸能と言えば女人禁制の歌舞伎だし、海外においても、シェイクスピアの時代の舞台は男性のみで上演するものだったんですね。で、そういう流れもあって女優がフィーチャーされる作品があまりにも少ないんじゃないかと。「柿喰う客」のメンバーは今20代半ばで、女優たちを中心にした公演もしているけど、将来的に彼女たちがメインで活躍できる場はこの先どれだけあるんだろう、ということもあって、そういう日本の演劇シーンに一石を投じたいっていう思いから、「女体シェイクスピア」と称して一つシリーズ化しましょう、となったんです。このシリーズが認知されてある程度の格を持つようになれば、世の女優たちに夢を持ってもらえるんじゃないかって。それこそ「なでしこジャパン」が活躍することで、「女性でもサッカーをやれる!」ってたくさんの女の子たちが夢を持ったように。

――単に「女性だけのシリーズ」をやるというよりは、シェイクスピアという題材に意味があった?

そうですね。「ハムレットを女性が演じる」なんて、普通はなかなか企画しないので、それを今の日本の演劇シーンできちんと作りたいっていう思いがまず一つ。あと、中屋敷は“アイドルオタク”ってくらいにアイドルに詳しいんですけど(笑)、アイドル文化というものが完全に日本に根付いている今、女優さんまでアイドルっぽく扱われるのは果たしてどうなんだ?っていう疑問ですね。別にアイドルの能力が低いという意味ではなく、かわいければいい!みたいな演出に対するアンチテーゼというか。きちんとした作品を、能力のある女優が演じれば、男優メインの舞台に匹敵、あるいはそれ以上の作品になる事もあるんだっていうのをアピールしたかったんですね。また、それは宝塚歌劇団とも違った作品になると思ってもいたんです。

――企画が上がった段階では、制作的な目標としてはどんなものを掲げたのでしょうか?

僕が制作として参加する前の『悪趣味』(2009年9月)が、同じシアタートラムで2400人っていう劇団の最高動員記録を持っていたので、とりあえずこの作品で「それを超えよう」と。プラス、「柿喰う客」のフルスタッフで臨む企画を出来るだけいろんな地域に持って行って、それぞれでしっかり集客をするっていう。その2つが目標でしたね。

――最終的に4都市(東京、三重、大阪、愛知)を廻りましたが、これは思惑通り?

東京と大阪は問題なくやれる自負はあったんですけど、それ以外の地域にも絶対に行きたかったので、「三重県文化会館」と「長久手町文化の家」が手を挙げてくれてありがたかったです。スケジュール的にも一週ごとに各地域でやれるように調整できたので、本当に歯車がガチャガチャっと合っていくみたいにうまく転がっていった感じでした。

――地域劇場のブッキングという点ではあまり苦労がなかった?

上演すること自体に問題はなかったです。ただ、三重と長久手は買い取り公演という形で企画を進めさせてもらえたんですが、柿喰う客はまだまだ若手なので潤沢な金額での買い取り公演という訳にはいかず・・・。でも、僕らは始めから行きたいという意志があったので、買い取り公演という提示だけでも本当に嬉しかったです。そのため、各担当者とはお互いに無理のないように、という共通認識を持ちながら話し合いをし、予算を決め、その中でやり繰りするという調整をしました。苦労したといえばこの調整ですかね。最終的にはうまくやり繰りする事ができ、問題なく上演させて頂きました。

――三重も長久手も「柿喰う客」にとってはすでに馴染みのある劇場でしたよね。

そうですそうです。三重についてはもう本当に、一番初めに「柿喰う客」のことを気に入ってくれた地域の公共ホールさんで、『すこやか息子』(2009年11月)では滞在制作もやらせていただきましたし、『ながくつをはいたねこ』(2011年2月)でも泊まり込みで上演させていただきました。長久手は、「カラフル」*2っていう企画に「柿喰う客」が参加した時から「是非いつかやりましょう」という話をしてたんです。まぁそれぞれ、事業担当の方がきちんと公演を観に来てくれ、「柿喰う客」を気に入ってくれたことが大きかったですね。

――新潟*3もそうですけど、「柿喰う客」は各地域で行われているさまざまなフェスティバルに小さな作品でパっと身軽に参加している印象がありますが、それがいわゆる種を蒔くことになっているんでしょうか?

それぞれの地域のお客さんが少なからず「柿喰う客」のことを知っているっていうことは大きいですからね。そのためにはやっぱり、一回行っておかないと。全く知らない土地で上演するのは、呼ぶ方も行く方も怖いですから。フェスティバルのような企画は予算を最小限に抑えられるので有効です。特に「柿喰う客」の場合は、作品によって色々作り方を変えられるっていうか、それも中屋敷のセンスに尽きるんですが、例えば音響や照明のギャランティが出せないような予算なら、「だったら、音響照明なしの作品を作ります」って言って作れちゃう。そこら辺のフレキシブルさが一番の強みですね。

――それは制作が一番苦労する部分ですもんね。

ほんとにそう。過去に自分が制作をしていた劇団は「全部が揃わないと、劇団の作品じゃないです」みたいな思いがあったんだけど、最近は、たぶん中屋敷が作れば何をもってしても「これが柿喰う客です」って言えちゃうので、そこは強みだなって。中屋敷というアーティストには制約というものがほとんどないんですよ。

――確かに。『すこやか息子』を観たときには、「これホコ天でやればいいのに。街歩いてる若い子たちびっくりするぞ」って思いました。

「どこでも何でもできるんだ」って中屋敷はよく言ってますね。「役者さえいれば表現できる」って言い切ってる。苦労が全くないとは言わないですけど、きちんと話ができる演出家なので、それは制作としてはすごくやりやすい。

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