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植松侑子の「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」Vol.8

12.12/13

ソウル市庁舎前のクリスマスツリー

안녕하세요(アンニョンハセヨ)!2012年も最後の月、本当に早いものです。私が韓国に来てからもうすぐ1年になろうとしています。Nextさんに機会をいただいて書き始めたこのコラム「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」も今回が8回目の更新ですが、実は今回が最後のコラムとなります。私なりに韓国の舞台芸術の情報を日本のみなさんに届けるために、毎回何をテーマにするか、どのような切り口で書くか、それぞれに悩みながら書いてきました。まだまだ触れられていない物事ももちろんたくさんあるのですが、今後も個人ブログなどで時間を見つけて少しずつ紹介していきたいなぁと思っています。また、来年以降は日本の情報を韓国に向けて韓国語で発信することも始めたいなぁと思っています。

さて、最終回のテーマは「韓国で舞台芸術を仕事にするということ」について書きたいと思っています。
私が韓国に住む前、東京から韓国の舞台芸術界を眺めると、日本よりもはるかに政府のバックアップ体制がしっかりしているように見えました。製作した作品を海外へ発信するということへの意識の高さ、制作者の知識面でのサポート、新作を作る際のクラウドファンディングなど、制作者として「あったらいいなぁ」と思うもがすでに韓国では始まっていて、さらに5回目のコラムでも触れた「アジア文化中心都市」という新しい国家事業も進行中、一方で3回目のコラムで取り上げたダウォン芸術という流れもあり、様々な情報を知れば知るほど韓国の舞台芸術を取り巻く状況が魅力的に、隣の芝は青々と見えたのでした。

実際に韓国での生活を始めてみると、海を挟んだ隣の国から眺めていたものとは違う側面も見えるようになりました。だからこそこのコラムのタイトルは「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」なのですが。

「韓国で舞台芸術を仕事にするということ」と冒頭で書きましたが「舞台芸術を仕事にする」、「舞台芸術で食べる」といっても、演出家なのか、俳優なのか、ダンサーなのか、舞台監督なのか、音響・照明・舞台美術などのテクニカルスタッフなのか、制作なのか、立場が違えば事情も全く異なってくるのは言うまでもありません。また、例えば「制作」だったとしても、フリーランスなのか、劇場やフェスティバルに所属しているのか、制作会社に所属しているのか、それによって待遇や労働条件も異なってくるでしょう。また、日本では東京とそれ以外の地域の状況が異なるように、韓国でもソウルとそれ以外の地域ではやはり状況が異なります。

今回のコラムで本当に書きたいのは、舞台芸術をめぐる政府の政策やバックアップ体制、助成金システムなど、インターネットで検索すれば出てくるような情報ではなく、個人を主体とするもっともっと小さな「生活」のことについて書きたいと思っています。もしかしたら「舞台芸術」にも限らない、夢を追いながら生活している人全般にいえることなのかもしれません。舞台芸術に関わることを目指して地方から上京(ソウル)し、卒業後はアルバイトで生計を立てながら演出家/振付家を目指す20代という人物像を設定し、その生活をみながら今回のコラムを書き進めたいと思います。

韓国の場合、高校を卒業して大学に進学する大学進学率は72.5%(統計庁「2011韓国の社会指標」)。多くの人が大学進学を選択します。演劇学科のある大学は韓国国内に63校、舞踊学科のある大学は34校、ミュージカル学科は約30の大学にあり、その多くがソウル市とその周辺に集まっています。演出家/振付家を目指す人が大学で演劇・舞踊などを専攻することのメリットとしては、専門的な知識・技術が学べるということの他に、大学が持っている稽古場や発表の場が使える、そしてやはりネットワーク、コネクションづくりが大きいと思います。各大学のカリキュラムでは、実際に自分の劇団・舞踊団を持ち活躍している演出家・振付家、プロデューサーなどが授業を担当している場合もあり、彼らの目に留まれば学校外部での発表の機会を与えてもらえる可能性もあります。また、同じ道を志す者同士が集まる訳ですから、自分たちで劇団・舞踊団を立ちあげる際にも仲間を探しやすいということもあります。韓国で演出家/振付家になるために、専門の学科を卒業することが必須というわけではありませんが、多くの人が大学で学んでいます。

ちなみに大学の授業料(1年間)は、4年制大学の場合平均で国立大学4,150,000ウォン(約314,653円)、私立大学7,373,000ウォン(約557,244円)かかります。

日本の場合は全国平均で国立大学が535,800円、私立大学が857,763円なので金額だけ比較すれば日本より安い金額ですが、国の豊かさの基準として使用される「国民一人あたりの名目GDP(2011年)」は日本が約45,869米ドルなのに対し、韓国は日本の約半分の約22,424米ドル。JETRO日本貿易振興機構ウェブサイトより)韓国での金銭感覚で考えると大学の授業料は決して安いものではありません。大学の授業料と生活費を稼ぐため、長期の休みもアルバイトに明け暮れる学生も年々増えているそうです。

4年の大学生活を終えて無事に卒業し、いきなり演出家/振付家として順風満帆にその道一本で食べていける人は日本と同じくほとんどいないでしょう。多くの人がアルバイトなどの副業をしながら、コンクールに作品を出してみたり、自主公演をしたりしながら地道にキャリアを積んでいくことになります。最初のうちはギャラも0に等しい状況の中で、なんとか経済的に耐えなくてはならないわけなので、アルバイトの給料がとても重要になってきます。では、ソウル市内でアルバイトをした場合、時給はいくらぐらいでしょうか。ちなみに東京23区内だと、コンビニエンスストアの販売員の平均時給が893円、飲食店の接客サービスが940円だそうです。AIDEM 人と仕事研究所ウェブサイトより)ソウルの場合、実は恐ろしいほどにアルバイトの時給は安く、コンビニエンスストアの販売員が5,304ウォン(約401円)、飲食店の接客サービスが5,391ウォン(約407円)(韓国のアルバイト情報検索サイト、アルバモンより)です。
たとえアルバイトの時給が安くても、生活にかかる費用全般が低くて済めば釣り合いが取れるわけですが、ソウル市内で生活をした場合の物価はだいたい以下のような感じです

食料品
米(5kg) 14,700ウォン(約1,111円)
食パン(1斤) 1,500ウォン(約113円)
卵(10個) 2,900ウォン(約219円)
豆腐(1丁) 1,280ウォン(約97円)
インスタントラーメン(1袋) 634ウォン(約48円)
牛乳(1L) 2,300ウォン(約174円)
コーラ(1.5L) 2,150ウォン(約163円)
コンビニのおにぎり 700ウォン~1,000ウォン(約53~76円)
生活用品
トイレットペーパー(50m×24ロール) 24,400ウォン(約1,845円)
シャンプー(780ml) 12,500ウォン(約945円)
ファストフード
スターバックス カフェアメリカーノ(ショート) 3,800ウォン(約287円)

(日本では320円)

マクドナルド ビッグマック(単品) 3,700ウォン(約280円)

(日本では320円)

ピザハット バーベキューチキン(L) 24,900ウォン(約1,882円)

(日本では3,400円)

ケンタッキーフライドチキン

オリジナルチキン(1ピース)

2,200ウォン(約166円)

(日本では240円)

生活
美容室(カット) 15,000~3,0000ウォン(約1,134~2,267円)
映画 5,000~12,000ウォン(約378~907円)
携帯料金(基本料+通話料、1ヵ月) 50,000ウォン~80,000ウォン

(約3,779~6,048円)

公共料金
地下鉄(基本料金) 1,050ウォン(約79円)
バス(基本料金) 1,050ウォン(約79円)
タクシー(初乗) 2,400ウォン(約181円)
家賃(ワンルーム)
保証金100万~500万ウォン(約7万5,000円~38万円)

+月々20万~50万ウォン(約15,121~37,803円)

※韓国で部屋を借りる場合、契約時に保証金を払うのが一般的(退去時に全額返金)。

最初に払う保証金の額が多いほど月々の家賃は少なくなります。

ソウル特別市物価情報および韓国物価協会より)

(為替レートは100円=75.820ウォンで計算)

実際に生活してみて東京より安いなぁと感じるのはインスタントラーメン、ピザ、家賃、公共交通機関の運賃、タクシー、美容室、映画などの娯楽費です。
逆に高いと感じるのは、卵、乳製品、コーヒー、トイレットペーパーやティッシュ、ノート、本などの紙全般、シャンプー・リンス、歯磨き粉などです。これらはむしろ日本で買ったほうが安かったりします。ガス・電気・水道などは東京で一人暮らしをするよりも若干安い程度だと思います。個人的な感覚だと、ソウルでの生活費は東京の2/3程度だと考えるとぴったりくるんじゃないでしょうか。生活費は東京の2/3程度かかる一方、アルバイトの時給は東京の1/2以下と考えると、いかにアルバイトの時給の設定が安いかが感じられるでしょう。
人間らしいそれなりの生活をしようと思うと、家賃を含めた生活費は月に100万ウォン(約75,576円)程度は確保したいところですが、これを先程の飲食店の接客サービスのアルバイト平均時給5,391ウォンで割ると、月に185時間の労働が必要になります。1日8時間、週5日勤務しても1か月の労働時間は160時間にしかならないわけなので、作品を作りながら、公演をやりながら、アルバイトだけで生計を立てるということがいかに至難の業かお分かりいただけると思います。

もちろん一般のアルバイトではなく、大学で授業を持つという道もあります。これだけ演劇学科、舞踊学科があるのですから講師やアシスタントもそれなりの人数必要になるでしょう。しかし、毎年毎年、先程挙げた数の大学から演劇・舞踊を学んだ学生が社会に放流されるわけですから、大学の仕事を得るのも狭き門です。他の生徒と差をつけようと思えば、やはり大学院に進学することになるわけですが、大学院に進学すればさらにまた学費がかかり、結局経済的な問題からは逃れられません。
じゃあ一体全体、夢を追う若者たちはどうやって生活しているんだ、と思うのが当然ですが、これは「親の援助」が非常に大きいと思います。

日韓で考え方が異なる事はいろいろありますが、「子どもの自立」に関してもその一つだと思います。日本だと、高校もしくは大学を卒業して社会に出れば、子供は親から自立をするもの。親の援助なしで、なんとか一人で生計を立てられるようにするもの、という考え方が一般的だと思います。韓国の場合は、子供が結婚するまでは親が子供の面倒を見るのは当然、という考え方で結婚費用も親が負担するということも珍しくありません。親の援助なくしては、経済的な問題が大きすぎて夢を追いかけるのも非常に困難です。親に経済的な余裕がない、もしくは何らかの事情で親の援助を受けられない場合には、夢を諦めざるを得ない場合もあるでしょう。

2011年2月に韓国社会に衝撃が走ったニュースがありました。アシアナ国際短編映画祭で『激情ソナタ』という短編映画で受賞し、将来を有望視されていた映画監督・シナリオ作家のチェ・ゴウン氏が生活苦のため持病の治療ができず、持病の悪化と飢えで32歳という若さで亡くなったのです。亡くなる数日前にチェさんが残した「何日間も何も食べていません。残ったご飯とキムチがあれば私の家のドアを叩いてください」というメッセージは、ニュースを聞いた人々の心を締め付けました。2011年4月に私がソウルに出張した際、何人もの人からこのニュースを聞き、舞台芸術界でも他人事ではない、若者が夢を追いかける際に、この国の経済システムではあまりにリスクが高すぎる、この状態ではアーティストが育つわけがない、という声も聞きました。

今年10月、韓国の企画財政部が文学賞や美術賞などを受賞し創作活動をしている作家約900人を対象に、月100万ウォンの創作奨励金を3カ月間支給する計画を発表しました。経済的に困難な状況におかれている芸術家の創作活動を支援することが目的のひとつです。日本でこのニュースを聞くと、日本にもこういう政府の援助があったらいいなぁ、韓国は政府サポートが受けられていいなぁと思うかもしれません。ただ、この対象になる人はごく一握り(しかも受賞歴があるとういう時点で、それなりにすでに活躍しているといえるでしょう)な訳ですから、韓国側からみれば「こういう一時的な支援より、バイト代でそれなりに生活ができる日本のほうがよっぽどうらやましいよ」と言われてしまうかもしれません。

そして経済的な問題以外に忘れてはならないのが、韓国の成人男性の義務「兵役」です。韓国は現在も北朝鮮との戦闘が終結していない休戦中の国です。韓国人男性はすべて満19歳になる年に入隊の適性検査を受け、身体・学力ともに基準を満たした者は芸能人であろうとスポーツ選手であろうと、30歳の誕生日を迎える前までに入隊し、約2年間兵役に服務しなくてはなりません。(入隊基準を満たした人でも、オリンピックや国際大会でメダルを取った選手や、芸術的に優れた才能を持ち活躍している人は「芸術・体育要員」の特例として軍服務が免除となることもあります。)服務中の月給は7,000円程度しかもらえないので、ほとんど日用品やタバコ代に消え、兵役を終えたときに貯金が貯まっているということもないわけです。日本では、20代で自分の劇団を持ち活躍している演出家や振付家もけっこういますが、韓国では20代だとまだ兵役に行っており、30代になってようやくキャリア再スタートといった感じなので、韓国からみれば日本の20代演出家の多さには驚くそうです。

さて、ここまでいろいろ書いてきて(書こうと思えばもっともっといろいろ書けるのですが!)結局何が言いたいかというと、ある政策、アーティストへの支援体制、今舞台芸術界で起こっている現象、それだけを切り取って断片で見ても肝心なものが見えてきません。1年前に隣の芝生が青々と見えていた私も、実際に韓国人社会に飛び込んで、時給5,500ウォンでバイトをしながら韓国人の考え方を学び、少しずつ、少しずつ、「なぜそれがそうなったか」を理解できるようになってきました。日本と韓国を比べて、韓国のシステムのほうがいいところもあれば改善すべきところもあるし、逆もまた然りです。舞台芸術だって社会とつながっている以上は、その社会の政治、経済、歴史、思想の影響を当然受けるし、逆にそれらを知った上でなければ見えてこないものがたくさんあります。私のこの1年のキーワードを挙げるとすれば「無知の知」だと思います。自分がいかに無知で何もわかっていないかを学んだ2012年でした。今後も常に考え続け、学び続けなくてはいけない、知ったつもりになるのが一番恐ろしいと、改めて感じた1年でした。

近所の街並み

さて、このコラムは今回が最終回ということは冒頭でもお伝えしました。その理由が私情で恐縮なのですが、2013年からは再び活動の場を東京にも戻し、来年は韓国と東京を行ったり来たりの1年となるためです。1月~3月までは東京にいますので、どこかの会場で皆様とお会いすることもあるかと思います。

最後になりましたが、今回コラム執筆の機会をいただいたNextさんに心より感謝いたします。このような連載コラムを執筆するのは私自身初めてでしたが、あるテーマを深く掘り下げて考える、誰かに伝えるためにそれを文章にする、という経験は自分にとっても大きなプラスになったと思います。
そして全8回のコラムを読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

今後も日々努力・精進していきたいと思います。
それでは今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



■植松 侑子(うえまつ・ゆうこ)■
1981年、愛媛県出身。お茶の水女子大学芸術・表現行動学科舞踊教育学コース卒業。在学中より複数のダンス公演に制作アシスタントとして参加。卒業後は制作、一般企業、海外放浪を経て、2008年6月よりフェスティバル/トーキョーに参加。F/T09春、F/T09秋、F/T10は制作スタッフとして、F/T11は制作統括として4回のフェスティバルに携わる。 2012年よりソウル在住。
個人ブログ:http://maticcco.blogspot.com/
twitter:@maticcco


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