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植松侑子の「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」Vol.5

12.09/13

ソウルはすっかり秋らしい気候になり、いよいよ芸術の秋の到来を感じさせます。このコラムのタイトルは「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」なのですが、今回はソウルから離れ、光州(クァンジュ)で9月から始まる「光州ビエンナーレ2012」、そして日本の舞台芸術関係者なら絶対に知っておくべき、光州にて現在国家事業として進められている「アジア文化中心都市」事業について書こうと思います。

ソウルと光州の位置関係

まず、ソウルと光州の位置関係から。地図を見るとお分かりのとおり、ソウルから直線で真っ直ぐ下に降りてくると光州があります。ソウルからは飛行機で50分、高速バスで約4時間、KTX(韓国の新幹線)と急行電車ならば約3時間なので、イメージ的には東京―名古屋くらいの距離感だと思います。

光州のことを書くにあたってはまず、光州が持つ歴史について触れる必要があります。それを理解すれば、なぜビエンナーレが、そしてアジア文化中心都市がソウルから離れた光州で行われるか、その意味がより理解できると思います。
光州は、朝鮮が高句麗、百済、新羅の3つの勢力に分かれていた三国時代(4世紀~7世紀)以降、全羅道(チョルラド)地方の政治・経済・文化の中心都市として栄え、多くの文人や画家を輩出した「韓国の芸術の故郷」と呼ばれる場所です。実は、この三国時代に百済であった全羅道と、かつての新羅に位置する慶尚道(キョンサンド・釜山や大邱など韓国第2、第3の大都市が含まれる地域)は、風土や人々の気質もかなり異なっており、現在も地域対立が残っています。

とくにその対立は、5・16軍事クーデター(1961年)で大統領になった慶尚道出身の朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代、大統領の出身地域である慶尚道地域はインフラ整備や経済開発、官公庁人事で優遇された一方、全羅道地域が冷遇されたことでより露骨に、深刻になります。その結果、冷遇された全羅道には反体制の気風が根づくことになり、1980年「光州事件」と呼ばれる悲劇が起こります。1980年5月18日から27日にかけて、光州で民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突。当時人口75万の光州に、2万人もの兵力が投入され、民間人144人、軍人22人、警察官4人、計170名もの死者を出す惨事となりました。(もし興味があれば、光州事件を扱った『光州5・18』という映画が日本でもDVD化されています。)

「光州ビエンナーレ2012」

のポスター

開発が遅れ、悲劇の都市のイメージがついてしまった光州ですが、芸術の故郷としての誇りをもう一度取戻し、文化都市として再スタートしようと、財団法人光州ビエンナーレと光州広域市の共同主催によりアジア初のビエンナーレ「光州ビエンナーレ」が1995年から始まりました。(ちなみに以前にこのコラムでも触れましたが、国立劇団の設立もアジアで一番早かったのは韓国なので、韓国が「アジア初」なものが実は多いんですね!)第9回目となる今年の「光州ビエンナーレ2012」のメインテーマは「ラウンドテーブル」。今回のビエンナーレの芸術監督は、アジアの女性6名が共同で務めるというめずらしいスタイルで、日本人としても森美術館チーフ・キュレーターの片岡真美さんが選ばれています。今年は9月7日~11月11日まで開催。ちなみにこのビエンナーレは、デザインビエンナーレと交互に開催されており、偶数年がアート、奇数年がデザインとなっています。

「国立アジア文化の殿堂」の完成イメージ図

そして今後日本の舞台芸術界とも大いに関係してくるであろう「アジア芸術中心都市」事業について。2002年の韓国大統領選の選挙公約として盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、光州にアジアの文化中心都市を作ると公言しました。これまで冷遇されていた光州を、国家戦略で文化都市として発展させようという構想を打ち出したのです。この公約によって光州市民の期待も集めた盧 武鉉は大統領に当選し、2004年から光州広域市と韓国政府(文化体育観光部)が連携し「アジア文化中心都市」事業が開始しました。

この事業はその文字のとおり、光州をアジアの多様な文化の研究・教育、文化芸術の創造・交流・発信が行われるハブにしようというもので、特に舞台芸術に関連するのは、「国立アジア文化の殿堂」の建設・運営です。
「国立アジア文化の殿堂」は巨大なアートコンプレックスで、以下の5つのブロックから構成されます。

  1. 文化創造院

    文化コンテンツ企画創作センター、文化コンテンツ制作センター、複合展示場

  2. アジア芸術劇場

    大劇場、中劇場

  3. 民主平和交流院

    民主・人権・平和記念館、アジア文化交流支援センター、経営戦略支援センター

  4. アジア文化(情報)交流院

    アジア文化研究所、アジア文化支援センター、アジア文化アカデミー

  5. 子供知識文化院

    教育文化コンテンツ開発センター、子供博物館

特に(2)のアジア芸術劇場は、今年3月に芸術監督としてフリー・レイセン氏(「クンステン・フェスティバル・デザール」の創立者)が就任することが発表され、2014年に正式オープンするこの劇場で、彼女の指揮のもと、どのようなプログラムが展開されるのか世界中から注目されています。

ちなみに、劇場は正式オープン前ではありますが2010年からすでに作品の国際公募も始まっています。

この国際公募は、構想段階の作品からすでに製作された作品まで応募することができ、この公募で選ばれた団体(作品)は光州でのレジデンスに招聘され、作品製作費の一部として補助金も支給されます。ゆくゆくは、この国際公募で選ばれた作品を集め「アジアレジデンシーフェスティバル(仮称)」に拡大・発展させることも目論んでいるようです。まだそれほど世界的知名度も高くないので、今のうちに、(次回の募集は来年春?)ぜひ日本の団体もたくさん応募したらいいと思います!

「アジア文化中心都市」は国家事業ですから、動いているお金の大きさがまず巨大です。それ故、時間をかけ、人材を集め、丁寧に根を伸ばしていけば、本当にアジアの文化のハブになることも可能かもしれません。しかし、心配な点もあります。それは「政権交代の影響」です。実際に、この事業の言いだしっぺである盧 武鉉から、現大統領の李明博に政権が移った当初、いったんこの計画の見直しが行われました。最終的には事業の続行が決まり、予算の縮小程度で済みましたが、様々なプロジェクトの進行が遅れ、2010年にオープン予定だった「国立アジア文化の殿堂」は結局2014年オープンにずれ込んでいます。そして今年12月には再度大統領選が行われます。韓国の大統領の任期は5年間ですから、政権が変わるたびに新政権の文化政策の影響を受けることになります。

まだまだどうなるか全体像の見えない「国立アジア文化の殿堂」ですが、2014年の正式オープンに向け、現在ソウルに集中している舞台芸術関係の人や組織も来年あたりから徐々に光州への異動が増えてくるのでは、という噂も。今年の大統領選も含め、今後の動向は要チェックです。



■植松 侑子(うえまつ・ゆうこ)■
1981年、愛媛県出身。お茶の水女子大学芸術・表現行動学科舞踊教育学コース卒業。在学中より複数のダンス公演に制作アシスタントとして参加。卒業後は制作、一般企業、海外放浪を経て、2008年6月よりフェスティバル/トーキョーに参加。F/T09春、F/T09秋、F/T10は制作スタッフとして、F/T11は制作統括として4回のフェスティバルに携わる。 2012年よりソウル在住。
個人ブログ:http://maticcco.blogspot.com/
twitter:@maticcco


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