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植松侑子の「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」Vol.3

12.07/13

第14回Seoul Marginal Theater Festivalのポスター

今回は韓国独特の概念である「ダウォン芸術」とそのダウォン芸術を扱う2つのフェスティバル、Festival Bo:mとSeoul Marginal Theater Festival を紹介したいと思います。

さっそくですが「ダウォン芸術」という言葉、みなさん聞いたことはありますか?私が初めてその名前に触れたのは2010年の春、ソウルに出張した時でした。その出張では韓国の舞台芸術関係者にたくさんお会いしたのですが、お会いした方々と韓国の状況について話していると必ずダウォン芸術というキーワードが出てきて、いったいそれはどういう概念なんだろう、日本語に置き換えたらなんなのだろうと、当時の私は悶々としたものです。結局、この概念は日本にはそもそも無いものなので、日本語には置き換えられないということを知るのですが。

ダウォン芸術のダウォンを漢字にすると「多元」と書きます。英語に訳した場合はInterdisciplinary Art、もしくはMultidisciplinary Artと訳されています。この英語を翻訳すればなんとなく雰囲気が分かると思うのですが、つまりは「多くの分野にわたる」ということです。

この言葉が韓国で生まれたのは90年代後半で、演劇、ダンス、映画、美術、文学、音楽、コミュニティーアートまで含む様々な芸術分野が混在したハイブリッドなジャンルを指します。この言葉が生まれた背景には、助成金を含む政府の支援システムが密接に関連しています。日本でも助成金を申請しようとすると、申請書類にカテゴリーを記入する欄がありますよね。そこに演劇、ダンスなどを記入するわけですが、韓国もそのあたりは日本と同様です。しかし、韓国の場合はその「演劇」「ダンス」というジャンルの枠組みがかなり強固で、各ジャンルを横断するような作品、既成のジャンルには当てはまらないような実験的な作品に関しては、「これは演劇じゃない」「これはダンスとは言えない」と冷遇される傾向がありました。また、その強固な枠組みの中では、どうしてもいわゆる大御所の作品ばかりが採択されて、まだ実績の少ない若手のアーティストにはなかなかチャンスが回ってこないという現実もありました。そこで、従来のジャンルに収まらないもの、実験的な作品を作っている若手のアーティストもサポートが受けやすくなるように、既存のジャンルにはない、全く新しいカテゴリー「ダウォン芸術」が登場したのです。

そのような背景で生まれた言葉なので「ダウォン芸術とは〇〇です」というはっきりとした定義づけはできません。既存のジャンルの間を柔軟に形を変え存在しているのがダウォン芸術だからです。既存のジャンルに含まれる作品の傾向が時代とともに変われば、ダウォン芸術もまたそれに合わせてぬるぬると変わります。既存のジャンルが細胞だとすれば、ダウォン芸術はその細胞と細胞の間を満たす細胞間リンパ液みたいなものです。あらゆるジャンルの間に存在しているのですから、当然ダウォン芸術という言葉は舞台芸術だけでなく、現代美術などの分野でも使われています。そして、なぜダウォン芸術が注目されているのか。これがとても大切なことだと思うのですが、それは「今まで芸術とは認められなかったもの」、「これまで名前が付けられてこなかったもの」、ありとあらゆるすべてをダウォン芸術は含むことができるからです。

ここまでを読んだ読者の皆さんの中には「いや、でも異分野同士がコラボレーションした作品なんて今までどこの国でも腐るほどやられてきたでしょ、それと何が違うの?」と思う方もいるでしょう。

ある現代美術の研究者がダウォン芸術と、従来の多ジャンルコラボレーションを東洋医学と西洋医学に例えていて非常に面白いなと思ったのですが、これまでに行われてきた異ジャンルのコラボレーション作品とは、内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科、産婦人科などの独立した科が一つの建物の中に入っている「総合病院」で、眼科では目の治療だけを、耳の治療は耳鼻咽喉科、と科ごとに専門が分かれているようなものだと。

しかし東洋医学では、全身のバランスを整えることで頭痛を直したり、耳が痛い時につま先に鍼を打ったりするように、人間の体を有機的な総体として理解します。そのように、あらゆる要素が互いに分離が不可能なほど混ざり合って生まれるのがダウォン芸術であるというのがその論でした。昨年のF/T公募プログラムに韓国人アーティスト、ジョン・グムヒョンの『油圧ヴァイブレーター』という作品がありましたが、あの作品もダウォン芸術の作品です。「完全に性的に独立した存在になりたい」という彼女自身の問題意識を掘りさげて作品にしたら、最終的にあの形(舞台上で映像を見せながら、独白する作品)になったというだけで、最初から演劇作品を創ろうとして作ったわけではないということです。

とはいえ、「百聞は一見にしかず」なので、ぜひ実際に作品を観に行っていただければ!ということでダウォン芸術をとりあげる2つのフェスティバルをご紹介します。

ひとつめは毎年春に行われているFestival Bo:m(フェスティバル・ボム)。日本のアーティストとしては、2011年にチェルフィッチュ、2012年には捩子ぴじんさん、梅田哲也さん、Chim↑Pomが紹介されています。Festival Bo:mの前身は2007年のSpring Waveというフェスティバルで、この時から「国際ダウォン芸術祭」と名乗っています。2007年当時、まだまだコンテンポラリーな作品に対する理解が得づらかった韓国の舞台芸術界に実験的な作品を送り込み、韓国の若者たちを勇気づけ、そこから次代を担うような作家を輩出したいというディレクター(キム・ソンヒ氏)の思いからこのフェスティバルが始まりました。このフェスティバルは自治体や劇場が主催するフェスティバルではなく、民間のフェスティバルです。韓国のアーツカウンシルや Seoul Foundation for Arts and Cultureの助成、企業からの寄付などで運営されています。

このような国際フェスティバルが民間で運営されているというのが驚きでもあり、まただからこそ強い意志がなければこんな大きなことはできないよな~、と思います。

そしてもうひとつが、まもなく7月4日から開幕するSeoul Marginal Theater Festival(ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル)です。第14回目となる今回のテーマは「演劇なき演劇 政治なき政治」。日本のアーティストでは新政府総理大臣の坂口恭平さんが正式招待作家になっています。
ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル宣言文を読むと、このフェスティバルの方向性が分かりやすいと思うのでここに載せたいと思います。


ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル宣言文

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルは、同時代の演劇性を新たに眺望して質問する演劇祭です。

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルは、演劇と演劇、演劇と人生との境界で亀裂や美しさを考える演劇祭です。

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルは、不可能なものの可能性を模索する演劇祭です。

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルは、奇妙なこと、知らないこと、つまらないものの美学を信奉する演劇祭です。

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルは、演劇ではない、すべてのものの演劇祭です。

最後の「演劇ではない、すべてのものの演劇祭」という言葉にすべてが集約されていますが、都市開発を扱うバスツアー、「家」について考える12時間の作品、韓国と日本とタイの難民と同時中継で行う作品など今年のラインナップもかなりエッジが効いています。こちらもインディペントのフェスティバルゆえなかなか日本での知名度は低いですが、個人的には、今、絶対に注目すべき演劇祭だと思います。公式のウェブサイトは韓国語しかないので、私のブログに全演目を翻訳しました。興味のある方はこちらを参考にしてください。



■植松 侑子(うえまつ・ゆうこ)■
1981年、愛媛県出身。お茶の水女子大学芸術・表現行動学科舞踊教育学コース卒業。在学中より複数のダンス公演に制作アシスタントとして参加。卒業後は制作、一般企業、海外放浪を経て、2008年6月よりフェスティバル/トーキョーに参加。F/T09春、F/T09秋、F/T10は制作スタッフとして、F/T11は制作統括として4回のフェスティバルに携わる。 2012年よりソウル在住。
個人ブログ:http://maticcco.blogspot.com/
twitter:@maticcco


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