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第5回「海外アーティストとのコラボレーション」 ゲスト:楢崎由佳 (現・ELMO USA CORP. マーケティング・コーディネーター/在籍期間:2000年~2006年) 聞き手:山内祥子(パパ・タラフマラ制作/在籍期間:2008年~

12.04/05

「パパ・タラフマラ」30年の軌跡を制作者視点で紐解くインタビューシリーズ「パパ・タラフマラの作り方」第5回。2000年代に突入すると、パパ・タラフマラは活動の矛先をより一層海外へと向け、さまざまな国のアーティストとのコラボレーションを実現させる。そしてそれは、発足当時からの目的地でもあった“百年の孤独”上演への布石となった。今回のゲストは、当時の制作チーフ楢崎由佳さん。現在海外赴任中のため、スカイプでのインタビューとなった。

海外との橋渡しをする仕事がしたくて

山内:楢崎さんとパパ・タラフマラとの出会いを教えていただけますか?

楢崎:出会いはオンラインでしたね。

山内:オンラインですか!?

楢崎:大学を卒業した後ヨーロッパに3年半くらい遊学していたんですけど、そろそろ仕事をしたいなと思って帰国して、インターネットで情報収集を始めました。

山内:求人情報検索?

楢崎:舞台に関する仕事がしたいなと思っていたのですが、なかなか求人情報は出てこない。そこで、エース・ジャパン*1が作成した舞台芸術団体のデータベースをパラパラと見ていた時に、「株式会社SAI」というのが出てきて「ああ、こういう会社があるんだー」って。そこには確か「制作募集」とは書いていなかったと思うんですが、ちょっと面白そうだなと思って履歴書を送ったんですね。そしたら連絡が来て、面接をすることになったんです。

山内:なるほど。じゃあ、もともとパパ・タラフマラを知っていたというよりは、検索した時にSAIとパパタラにヒットしたことから興味を持ったんですね。


『船を見る』(1997)チラシ

楢崎:そうですね。「パパ・タラフマラ」という名前と舞台の写真は、ダンス雑誌の記事などで目にしたことがあったので記憶にはありましたが、実際に舞台を見たことはなかったですね。「海外との橋渡しをする仕事をしたい」、それも「舞台関係の仕事」という希望があったので、面接の時、小池さんに「今ちょうど海外での活動を広げたいと思っているんだよね」と言われて面白そうだなと。

山内:それじゃ、偶然、小池さんと楢崎さんが求めていた展開がガチっと合ってスタートしたってことなんですね。なるほど。楢崎さんに是非お伺いしたいのは、『SHIP IN A VIEW』(2002年初演)についてなんです。この作品は『船を見る』(1997年)として上演したものを改変して何度も何度も再演を重ねて、しかもそのほとんどが日本ではなく海外で上演しているという、パパ・タラフマラの海外展開においてとても重要な作品になったんですけど、こちらをツアー作品として海外で上演できる状態にされたのが楢崎さんだと伺っているので、その辺の経緯を教えていただけますか?


『青』(2001)
(c)Katsuji Sato

楢崎:まず、私は『船を見る』を観ていなかったのですが、その作品DVDが本当によくて、「これはすごい作品かも」と感じたのを覚えています。それから、友人のイタリア人から「ベネチア・ビエンナーレ*2にダンス部門があるの知ってる?」と教えてもらったことも大きなきっかけになりましたね。「ベネチア・ビエンナーレ」って美術のフェスティバルだと思っていたので。早速事務局の住所を教えてもらって、DVDを送ったんですね。そしたら事務局から連絡が来た。その時の舞踊ディレクターはカロリン・カールソン*3でした。ただ、カロリンは『青』(2001年初演)という作品をすごく気に入っていて、「『青』か『SHIP~』のどっちかをやってもらえないか」という話だったんですけれども、『青』は大規模な作品なので物理的に難しくて、「『SHIP~』だったら出来ます」って答えました。まあ、『SHIP~』もずーっとやっていない演目だったので、メンバーからも半信半疑な声も挙がったんですけど、それは小池さんのパワーで説得していただいて。


『SHIP IN A VIEW』(2003 メキシコシティ)

山内:そうだったんですか。今では「ツアーを回れる作品といったら『SHIP~』ですね」みたいな感じで、こっちからどんどん営業をかけているぐらいなんですけどね。ただ、『青』と比べるとコンパクトな作品ですが、舞台中央の塔や、大きなロボットみたいなもの、稼働する車輪のようなものもあったりして、結構なボリュームですよね。

楢崎:舞台監督さんを始めスタッフ全員で知恵を絞って、いかにコンパクトにするか、現地で調達できるものはないか、という工夫を徹底的にしましたね。

山内:道具を専用の大きな木箱に詰めて船で送り出すんですけれども、移動中に内部で動かないように全部きちんとパッキングされているんですよね。これが私たちにとって今やもうすごい財産になっているんですけど、最初にこれを作った時の労力は相当なものだったと思います。

楢崎:舞台監督さんと一緒にパッキングリストを作りましたね。

山内:一度、美術が潰れちゃったことがあるって伺ったんですけど。

楢崎:あれは、ショッキングでしたね。確か北米ツアーの移動中だったと思うんですけど、トラックの中で潰れたんですよね。しかもそれ人形のオブジェだったので、まさにバラバラ事件(苦笑)。

山内:ラストシーンに出てくるロボットですよね。

楢崎:怒りまくって、「どうにかしろ~!」ってアメリカ人に文句を言って(笑)。とにかく時間がないので焦りましたが、劇場の方が手伝ってくれたり、美術の宮木亜弥さんが一生懸命直してくれてなんとか間に合ったんですよね。

山内:ベネチアで初めて『SHIP~』を生でご覧になったわけですよね。その時の感想はいかがでしたか?

楢崎:シチュエーションもすごく良かったんですよね。劇場がもともと船の倉庫だったところだったんですね。それに運河と海があるっていう環境だったので、これは本当にこの作品を上演するのにベストな劇場じゃないかなって思いましたね。すごく酔えました(笑)。

山内:そのあとに、たくさんの国々で『SHIP~』は上演されて、2007年にはBAM*4でも上演できる機会をいただいたんですけれども、誰に、どのようなプレゼンをしていったんですか?

楢崎:BAMに関しては、吉井省也さんから「ジョー・メリローっていうプログラムディレクターがいるから、そいつにアプローチしろ」ってアドバイスをされて、何度もアプローチをしました。なかなか良い返事をいただけなかったんですけど。一方で、それとは別に中南米ツアーとアメリカツアーを立て続けに何度かやっていたので、その実績が評価され、また、観客の評判が高かったことなどが相乗効果を発揮して、BAMからの招聘に繋がったのではないかと思います。

山内:中南米ツアー(2003年)は、ベネチアでの上演がきっかけになったんでしょうか?

楢崎:それがベネチアじゃなくて、東京の舞台芸術見本市(TPAM)のために中南米のフェスティバルディレクターご一行様が来日されると聞いて、稽古場にお呼びしたんですね。そしたらメキシコのグアナファトフェスティバル*5のディレクターが興味を持ってくれて「何か持ってこれる?」って言われたので、「じゃあ『SHIP~』をどうぞ」って。さらに中南米ツアーの時にピッツバーグのバイアムシアターのディレクターを招待し、実際に舞台を観ていただき、翌年アメリカツアー(2004年)、北米ツアー(2006年)が実現しました。

山内:そしてそれが翌年のBAM、さらにその先のサンフランシスコ(2009年)、トルコ(2010年)へ等々、脈々と続いていく。すごいですよね、パパ・タラフマラの歴史の中で最も世界中での上演数が多いのは『三人姉妹』ですが、こんなに長く公演を続けてこられたのは『SHIP~』だけなので、そういう意味では本当に大きな財産を遺していただいたなと思いますね。

楢崎:きっかけは一生懸命作りましたが、実現出来たのは、みなさんのパワーのおかげです。

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