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『地域のシテン』第1回 本多一夫×岡島哲也

13.11/28

「愛」を感じない小屋なんてダメ

本多愼一郎さん
ザ・スズナリ
「劇」小劇場
小劇場「楽園」

岡島:なるほど。本多劇場とザ・スズナリを起点にしてその後、駅前劇場(1984年)、相鉄本多劇場(1988年)、OFF・OFFシアター(1993年)、「劇」小劇場(1997年)、小劇場「楽園」(2007年)、シアター711(2009年)というように次々と劇場をオープンされていったんですね。愼一郎さんは、まさにこの下北沢で育って来たわけですが、どの劇場のオープンから憶えていますか?
本多愼一郎(以下、愼一郎):昭和50年(1975年)生まれですけど、全部憶えてますよ。本多劇場はまだ更地だった頃にそこで遊んでいた記憶があるし、スズナリは子供心に「気持ち悪い場所だな」って思っていてあまり近づかないようにしてました(笑)。
岡島:(笑)
愼一郎:当時はまだ下北沢もこんなに賑やかじゃなかったし、街の外れであのネオンじゃないですか。夕方に行くと本当に異様な雰囲気で。
一夫:そうそう、まだ劇場にする前だから、上は安アパートだし、下は今よりも飲み屋がゴロゴロあってね、もっとケバケバしく赤提灯がダーッて並んでたからな。
愼一郎:幼稚園や1年生の子供から見たら、そりゃ、怖いですよ(笑)。
岡島:確かに。なんか、地方都市の飲み屋街みたいな風情がありますよね。
愼一郎:温泉街、みたいな…。
岡島:そう、そうですよね(笑)。
一夫:もともと劇場じゃなくて、「スズナリ横丁」だからね。
岡島:愼一郎さんが劇場運営に関わるようになったのは?
愼一郎:「劇」小劇場がオープンして1年後ぐらいですかね。ちょうど、前任者が辞めることになったので。それまでは、青年座研究所で役者や制作をやったり、酒屋で配達の仕事をしてたんですけどね。
岡島:お父様から「劇小に行ってみないか?」と声をかけられた?
愼一郎:いや、そうじゃないですね、「行けっ!」と。
岡島:(笑)。その時は、どんなお気持ちだったんですか?
愼一郎:まぁ、別にいっか、みたいな感じでしたよ(笑)。
岡島:何の抵抗感もなかった?
愼一郎:そうですね。いずれ入るんだろうなと思っていたので。
岡島:父親としても、「ゆくゆくは愼一郎に劇場経営を継がせたい」って思っていらしたんですか?
一夫:まあ、強制するつもりはなかったけどね。ただ、息子は子供の頃から手先が器用で、機械いじりとかずっと好きでね。そういう意味では私より向いてるんじゃないかとは思っていましたね。劇場運営っていうのは、ほとんどが管理業務だから。小劇場の機材はだいたい10年周期で新しいものに変えていかなければならないし、最近は全部コンピューターが入ってるでしょ?私はその辺は全然ダメだから。金槌も扱えない(笑)。
岡島:愼一郎さんの現在の担当は「楽園」と「劇小」?
愼一郎:基本はそうですけど、グループ全体の機材を管理してますね。
一夫:それぞれの劇場に主任はいるけれども、機械にそんなに強くないから、
機材を入れ替える時とか、故障の時は全部愼一郎に立ち会ってもらってます。
岡島:なるほど。父親としてアドバイスされることとかあるんですか?
一夫:いや、それは愼一郎に限らず他のスタッフにもそうなんだけど、基本的には任せたらもう、「思い切り自由にやってくれ!」っていう姿勢ですね。ポイント、ポイントで状況は聞くけど、余計な口出しは一切しません。
岡島:時々、どうなってるんだ?みたいな。
一夫:脱線しないように、たまに見ているようなもので。あとはそれぞれの・・・私ではなく自分たちのカラーを出していいと。劇場ごとに責任者を一人ずつ置いてありますけれども、みんなもう長いしね。だからそれぞれの劇場で違ったカラーが付いてますよね。
岡島:そう、そうですよね。愼一郎さんは、そういう目線を感じていますか?
愼一郎:それはわかります。小さい頃、記憶にある頃からもう、ずっと見てきているんで。
岡島:ここが更地だった頃から、劇場を建てていく父の背中を見てきたんですものね。愼一郎さん自身が今、劇場運営で一番意識していることはどんなことですか?
愼一郎:うーん、僕は小屋付きスタッフなので、利用者の要望にはどんなことでも応えたいと思ってますね。どんな無理なことでも(笑)。
岡島:例えば、「舞台上に石を降らせたい」とか(笑)?
愼一郎:もちろん、お客様の安全が最優先ですが、ま、それさえ保証できるなら基本的にはどんなことでも応えようと思います。
一夫:ウチは公共事業じゃないからね。たとえば、退館時間までに絶対出ていけ、とか、何時までは入って来ちゃダメだ、なんて利用者には言わない。なるべく融通を効かせてやってくれって、スタッフには伝えています。
岡島:グループ全体の企業理念として浸透させている、と。
一夫:一番大事なのは、劇場が芝居人にとって最も自由な空間であることですから。
岡島:それは利用者の一人として、身に沁みて感じています。社長は現在の演劇界についてどんな印象を持っていますか?
一夫:うーん、外からはあまり景気の良くない話ばかり聞こえてくるけど、この下北沢を見ている限りでは、ますます繁栄しているんじゃないかと感じますよね。うちの劇場の利用状況に関して言えば、だいたい1年前には予約で埋まってしまいますからね。
岡島:そうですよね。

駅前劇場&OFF・OFFシアター

一夫:それだけ、下北沢は「演劇の街」というイメージが定着したってことなのかな。他の街の小屋はポツンポツンと点在している感じだもんね。
岡島:そうですね。
一夫:それからやっぱり、小屋への愛情を感じないところが多いよね。潰れたスナックのようなところを安易に劇場に仕立てた感じのさ。「芝居小屋を造るんだ」っていう情熱というか、愛がない小屋はダメだね。
岡島:愛ですか!
一夫:自分で造らなきゃダメですよ、キチンと。どんな小屋でも、「どういう風にしたら良いんだろう」「どうしたら使いやすい小屋になるだろう」って、心血を注ぐ勢いで考えないと。そりゃもう、それは「愛」だろう。空きビルをどうにかしたくて、不動産屋から「小劇場でもやれば?」なんて言われて始めたような小屋はダメだよ。
岡島:それじゃ、お二人の夢というか、本多劇場グループの今後の展開についてどんなことをお考えですか?
一夫:夢って言ってもねぇ、もう、いい歳だからね(笑)。
岡島:(笑)
一夫:そうだ、実は今、もう一つ小屋を造ってるんですよね。
岡島:え?下北沢にですか?
愼一郎:そう、すぐそこの北沢タウンホールの地下に。
岡島:いつオープンになるんですか?
愼一郎:今年中には形にしたいですね。来年の2月にはオープンさせたい。
一夫:下北沢演劇祭に間に合わせたい。
岡島:でも、タウンホールって世田谷区の施設ですよね?
一夫:建物全体は世田谷区と小田急が共同で所有しているんですよ。ビル全体の運営は世田谷区なんだけれど、地下は小田急のものなんですね。そのスペースをうちが借りるわけです。
岡島:どんな劇場になるんですか?
一夫:うちには完全にフリースペースになるような小屋ってあまりないから、そういう感じにしようと思います。キャパは150~170ぐらいかな。
岡島:なるほどー。
一夫:結構、面白い小屋になりそうだよ。うちになかった形の小屋だから。
愼一郎:構想では「楽園」を大きくした感じですね。
岡島:楽しみだなあ。なんか、画策したいなー。

(2013年10月7日本多劇場にて)
文責:郡山幹生(Next)


■本多一夫(ほんだかずお)
札幌市出身。北海道放送(HBC)演劇研究生を経て、新東宝ニューフェイス第4期生として俳優デビュー。現在、本多劇場グループ8劇場のオーナーを努める。70歳より俳優に復帰し、パラダイス一座公演「オールド・バンチ」等5作品、劇団鳥獣戯画公演「国盗り嫁娶り案山子合戦」等2作品に客演している。また2月に開催される下北沢演劇祭「区民上演グループ」にも毎年出演している。

■本多槇一郎(ほんだしんいちろう)
1975年、東京都出身。劇団青年座研究所、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻を経て1999年に「本多劇場グループ」に入社。劇小劇場、楽園の劇場の制作主任を担当後、現在は本多劇場グループ運営主任。

■岡島哲也(おかじまてつや)
1965年生まれ。 横浜市在住。舞台俳優、舞台監督を経て2002年から演劇制作に従事。2013年4月「演劇の創造と発信」を旗印に合同会社ヨルノハテを設立。既成の枠に囚われず、演劇に寄り添う作品作りを志す。2006年から2011年には、パラダイス一座に制作として参加。開幕ペナントレース、モダンスイマーズ、流山児★事務所の劇団公演や、志村けん一座『志村魂』などの制作を担当。最近では舞台監督としての活動も再開している。

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